本来別物の「権利と義務」がワンセットのように語られてしまう訳

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日常生活において不思議に思ったり、ちょっと気になったあれこれについて考察するメルマガ『8人ばなし』。著者の山崎勝義さんが今回取り上げ論じるのは、「権利と義務」について。本来別物である2つの概念が、しばしばワンセットかのように語られる理由を探ります。そして「義務を果たさない者に権利はない」などの表現が如何に冷酷であるかを指摘し、権利と義務の関係性について、1つの結論を導いています。

権利と義務のこと

権利と義務というものが、しばしばワンセットで議論され、例えば「義務を果たさない者に権利はない」とか「権利を主張するなら義務を果たせ」といった言い回しがなされることは存外に多いのではないだろうか。

結論から言うと、権利と義務は全くの別物である。にもかかわらず、この二つが多くの場面において同日論的に混用されるのは、おそらく「give and take」や「No pains, no gains.」などの取引表現に意味的に引っ張られてのことであろう。

とはいえ、この同日論にも法的にはそれなりの根拠があって、日本の民法は、

  1. 私権は、公共の福祉に適合しなければならない。
  2. 権利の行使及び義務の履行は、信義に従い誠実に行わなければならない。
  3. 権利の濫用は、これを許さない。

というように権利の制限と義務の履行を第一条として始まるのである。因みに第二条は「この法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等を旨として、解釈しなければならない。」と続き、第三条は「私権の享有は、出生に始まる。」となる。

どうにも第一条第二項の「義務の履行」が浮いているような気がしてならないのは自分だけだろうか。仮に「権利の行使」と「義務の履行」を対等とするなら第四項に「義務の履行は濫りにこれを強制してはならない」くらいの条文があってもよさそうなものである。しかし、実際にはそんなものはない。この事実は「権利」と「義務」が対等対義語ではないことを示しているのである。

少なくとも論理的には、

  • ~する権利がある
  • ~しない権利がある
  • ~する権利はない
  • ~しない権利はない

の4パターンのうち、最後の「~しない権利はない」場合だけが義務となる。逆に言えば、「~しない権利」を完全に否定できない限りは義務が発生する余地はないことになる。

ここに権利と義務の表見的なアンバランスが生まれるのである。権利は出生とともに全ての人に平等に与えられる。一方、義務はその平等性を担保しようとすれば寧ろ頭数で等分する訳にはいかないから、結果として不平等になる。この現状に腹が立てばこそ、前述の「義務を果たさない者に権利はない」的発言なども起こるのであろう。

しかし、全ての人が平等であっても、全ての人生が平等ではない。これは権利と義務の関係に少し似ている。そう考える時、相手の権利、特に社会的に弱い立場にある人の権利を「果たしている義務に釣り合わない贅沢」と否定したり、あるいは制限したりしようとすることが如何に冷酷な行為かが分かる。

権利は義務のご褒美ではない。権利への感謝が義務という形をとって社会へとつながって行くのである。ここを間違えてはいけないのである。

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ここにあるエッセイが『8人ばなし』である以上、時にその内容は、右にも寄れば、左にも寄る、またその表現は、上に昇ることもあれば、下に折れることもある。そんな覚束ない足下での危うい歩みの中に、何かしらの面白味を見つけて頂けたらと思う。

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