前述したとおり文法・訳読方式の英語教育は、テキストや例文を母語に訳して読みながら文法や言葉の意味を教える教授法です。このアプローチは18世紀のヨーロッパで広まりました。当時から文法・訳読方式は「コミュニケーションの役に立たない」といった今の日本社会に流布してるような批判が存在しました。
しかしながら、母語をしっかりと身につけた上で文法・訳読方式で英語を学ぶと、学習者の精神的世界観が広がり、母語の意味がさらに進化し、個人の言語能力だけではなく、さまざまなことを論理的に考える思考力を向上させるプラス面が認められているのです。
例えば「夏至」「冬至」は英語では「summer solstice」「winter solstice」です。私たちは夏至や冬至という言葉は普通に使いますが「至」が何を意味するかを考えることは滅多にありません。でも、英語では「solstice」という単語がつくので、solsticeを英英辞典で調べると、
「the time when the sun is furthest north or south of the equator」
とある。これを直訳すると、「太陽が赤道の最も北または南にある時間」となります。
要するに、昼の時間の長短としてしか理解されていなかった「夏至・冬至」が英語に翻訳し、単語を調べることで「太陽と赤道の距離」を意味し、その距離によって昼の時間が長くなったり、短くなったりしていることが意識できる。語学の問題が、理科の問題の理解にまで拡大するのです。
母語ではない英語(外国語)を文法・訳読方式で学ぶことで、無意識に使っている母語の語彙の意味を意識化できる。母語で形成されている精神世界が英語を学ぶことで、自分の言葉として習得できる。それはその国の文化や価値観を学ぶことにもつながっていきます。
「おもてなし」が「OMOTENASHI」と訳されるのも、これが日本独特の文化だからだし、日本では青空は「晴れ」ですが、英語だとclear、sunny、fear、bright、summeryなど、さまざまな表現がある。その理由を調べていくと、目の色の違いによって「光」の感じ方が変わることがわかります。
言語にはコミュニケーションの手段だけにとどまらない価値がある。つまるところ、今の日本に必要なのはきちんとした日本語教育を行い、語彙力を高めること。そのうえで従来どおりの文法・訳読方式を行えば、その他の教科の能力の向上が期待できます。
では、コミュニケーションとしての英語の力はどう高めるか?それについては長くなりますので、改めて取り上げたいと思います。
みなさんのご意見もお聞かせください。
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※本記事は有料メルマガ『デキる男は尻がイイ-河合薫の『社会の窓』』2019年11月13日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会に初月無料のお試し購読をどうぞ。