働き方改革で時間外労働の規制が大きく見直され、とにかく「残業を減らす」ことばかりが求められる現場が激増しています。しかし、それが「改革」の本来の目的だったのでしょうか。今回の無料メルマガ『「二十代で身につけたい!」教育観と仕事術』では著者で現役教師の松尾英明さんが、勤務時間の多寡だけで判断される現在の流れに疑問を投げかけています。
多忙か多忙感か
働き方改革について。
「時短」という言葉がある。無駄な時間をなくすのが目的である。
しかしながら、無駄な時間とは何か。例えば、仕事の質を上げるために、あれこれ工夫して精を出す時間は無駄か。教師でいえば、授業の準備をすれば、子どもと向き合う時間の質が高まる。
その目的が変わると、無駄になるのかもしれない。授業の準備をして、楽しい授業をして子どもの幸せに貢献したいという欲求が、自分が良く見られたいという欲求に変化する。そうすると、それが初めて「無駄な時間」になる。研究授業などで陥りがちな罠である。
時短の目的は、多忙解消のはずである。しかしながら、問題の本質は、多忙そのものというより、多忙感が問題なのである。勤務時間そのものより、勤務時間内にしている内容への意欲が問題なのである。
ここに、乖離が生じる。部下の時間管理を任されているリーダーは、「とにかく定時に退勤させること」を命じられる。それ以外に「上」に示す指標がないからである。部下がどんなに意欲をもって「もっとやらせてください!」と目を輝かせてやっていても、残業は「失敗」である。「上」から見て働き方改革が成功したか否かの指標は、部下の時間外の勤務時間が減ることだけである。
働いている側からすれば、意欲をもってやれている時間には、どんなに多忙であっても多忙感はない。前に何度も書いたが、逆に心の中で「無意味」と思っている作業をやるのは、例え5分であっても苦痛なのが人間である。
好きなことであれば、何時間でも没頭できる。今の時代、仕事が趣味というと一般的に悪い響きがあるが、趣味のように心から仕事に没頭できたら、疲れ知らずで無敵である。
教師である自分自身の場合を振り返って考える。疲れる時はどういう時か。自分なら、「成績処理」の期間。放課後の時間を確保するべく、特別日課で休み時間等がカットされてどんどん進む。そうすると、当然子どもが早く帰るので、成績をつけるための作業時間は増える。
一方、子どもたちと向き合う時間は大幅に減る。とにかくゆとりがないので、バタバタと日々が過ぎる。
ここで立ち止まって考える。教師になってやりたいことは何か。これが「私は成績をつけるために教師になりました!」というのであれば、この場合幸せである。
そんな訳ない。
教師になった人の多くは「子どもと共に〇〇」ということを願ってなっているはずである。子どもと向き合う時間を削っていったら、本末転倒である。
単に多忙なのか、多忙感をもって働いているのか。勤務時間の多寡ではわからない世界である。
働き方改革で何がしたいのか、真剣に向き合ってみたい。
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