何かの病気で手術を受けるとき、リスクの説明に確率が示される場合があります。成功すれば長年の絶望的な苦しみからの解放が約束され、失敗すれば死亡する手術の成功確率が83%のとき、あなたは手術を受けますか?この問に、「ここはためらうべき」と答えるのは、メルマガ『8人ばなし』の著者、山崎勝義さんです。山崎さんは、自身が置かれた状況をいま一度整理し判断すべきとする納得の理由を説明しています。
83.333…%のこと
仮に今、医師から成功確率83%の手術を提案されたとしたらどうだろう。
もちろんその判断は当人が置かれている状況次第で如何様にも変わるものであろうが、今は取り敢えず話を分かり易くするためだけにその状況を以下のように絞り込んでみようと思う。
- その手術を受けなくても死ぬことはない。
- その手術に成功すれば長年の絶望的な苦しみから完全解放される。
- その手術に失敗すれば死ぬ。
さあ、どうであろうか。正直、医療の世界で83%といえば相当高い成功率である。目下の苦しみが完全に無くなり、今後の生活の質が劇的に変わるというなら受けてもいい、と考える人も多いのではないか。しかしここはためらうべきところである。どう判断するにしても一旦はためらうべき局面なのである。
生還率83%といえば、実はロシアンルーレットと同じ確率なのである。六発式の回転式拳銃に実弾一発を込めて執行されるロシアンルーレットの死亡確率は6分の1、つまり16.666…%である。逆に言えば、生還率は83.333…%ということである。
こう書くとロシアンルーレットの生還率83.333…%が割と好条件にも思えて来るが、実際に自分の頭に銃口を当てた状況で引き金など引ける筈もない。
先の医師の提案はそれがどんなに親切になされたものであっても、その実、乱暴にゴロンと目の前にリボルバーを転がされるのと確率的には変わりないのである。
これが
- 「その手術を受けなければ死ぬ」
というふうに第1番目の条件が変われば判断は簡単である。希望的選択肢が奪われるからである。ロシアンルーレットで言えば、何もしなければ10秒後に目付け役に射殺されるということが分かっているようなものである。何もしないで死ぬくらいなら83%もの高確率で生き残れる選択肢がいいに決まっている。
どうも人間というものは希望と呼べるものが少しでも残っているうちは純確率論的行動に徹することはできないようである。しかし一方で、この不徹底さこそが人間の本質であるとも言える気がするのである。人間は損得勘定をする。これはAIも同様である。ただ人間には絶対損・絶対得というものがあって、それは自分の命(あるいは愛する者の命)である。それが損なわれる可能性が出て来るや、忽ち確率論は吹っ飛んでしまうのである。それは寧ろ「損得感情」とでも書いた方がいいものなのかもしれない。
人間とは実に、強くて弱く、賢くて愚かな存在である。「人間が人間である以上それはどうにもならぬこと」と嘆息しつつも、やはりどうしても尋ねずにはいられない。
「成功確率83%の手術、あなたなら受けますか?」
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