【グレート義太夫×MB】MBさんも唖然。義太夫さんが血液透析を諦めた仰天理由

ph0000
 

メルマガ『【最も早くおしゃれになる方法】現役メンズバイヤーが伝える洋服の着こなし&コーディネート診断』の著者で、人気ファッションアドバイザーとして様々なメディアから引っ張りだこのMBさんと、国民的人気を誇っていた「たけし軍団」の一員としてテレビなどで活躍し、最近はメルマガ『グレート義太夫の「貰えるものなら病気でも!」』を創刊されたばかりのグレート義太夫さん。そんなお二人による異色のクロストークが、なんと実現してしまいました! 透析患者として闘病の日々を続けている義太夫さんと、様々な困難の中から今の引手あまたの状態を作ったMBさんによる「ネガティブからポジティブへの変え方」の話題から、『お笑いウルトラクイズ』をはじめとした懐かしのお笑い番組の裏話まで、様々な話題が飛び出したロング対談の一部を、今回は特別に公開します。

肉体芸の日々と糖尿病の発症

MB 今日はよろしくお願いします。

義太夫 どうも、はじめまして。

MB いやー、僕自身は今年で37歳なんで、『ひょうきん族』とか『スーパーJOCKEY』とかの世代からは、微妙に外れると思うんですけど、僕の兄がすごく見ていて……。

義太夫 この前冷静に考えたら、この世界に入ってもう36年なんですよ。

MB えー、長いですよね。

義太夫 夢を持ってこの世界に入ったんですけど、待ってたのは悪夢でしたもんね。

MB (笑)。悪夢だったんですか?

義太夫 『スーパーJOCKEY』とかでも、もういろんなことをやらされて。最後のほうはもうやることが無くなっちゃって、「動物を素手で捕まえてみよう」とか、訳の分かんないことをやらされてたんですよ。それで、動物プロの先生がちゃんといるんですけど、「見本をみせますから、先生の言う通りやってください」「いいですか、ヘビは後頭部が死角ですから、後ろから近付いていって……」ってやってたら、ヘビが振り向いて先生の手をガブッて噛みついちゃって。それで血がダラダラ流れてるんだけど「さぁ、どうぞ」って。「できねぇよ」って(笑)。……そんなことばかりでしたよ。

MB だいぶ過激でしたよね、あの頃のテレビって。

義太夫 そうそう。あと初期のK1、アンディ・フグでしょ、レイ・セフォー、それに佐竹雅昭やマイク・ベルナルドがいて……全員に蹴られたことがありますよ(笑)。これは自慢なんですよ。

MB (笑)。僕はたけしさんがすごく好きで。『スーパーJOCKEY』も観てたし、『元気が出るテレビ』もめちゃくちゃ好きでした。

ph0001

義太夫 『元気が出るテレビ』はすごかったですね……テリー伊藤。

MB そうですね。

義太夫 今はなんかねぇ、ワイドショーで文化人みたいなことやってるでしょ。「暴力は人を育てませんよ!」とか言っちゃって。昔は、ADを歯が折れるほど殴ってたのに……。

MB (笑)

義太夫 それと、『お笑いウルトラクイズ』ね。

MB 見てました見てました。

義太夫 あれもテリーさんが「軍団をイジメるとおもしろいから」ってことで、一本の番組にしたのが始まりなんですけど。

MB え、そうなんですか。

義太夫 それで熱川のバナナワニ園っていうのがあるんですけど、ワニが200匹ぐらいいて、なぜかそのうちの1匹だけゼッケンを付けてるんですよ。で、そのゼッケンに何って書いてあるか読んで来いって言うんですけど、それにはワニを裏返さなきゃいけないと……。

MB (笑)。そういうのありましたよね。

義太夫 飼育員の人が「危ないからやめてください」「こいつ、卵から孵したのは僕なんですけど、いまだに僕のことを食べようとするんです」とかって話をしてるのに、テリー伊藤は「大丈夫ですから!」って言ってるんですよ。「お前、やらないだろ」って。

MB 大丈夫じゃないよ(笑)

義太夫 そういうのをかいくぐって36年ですよ。

MB いやぁ、すごいですよね。でも傍から見てても、義太夫さんはホント壮絶な感じがしましたけど。

義太夫 体がドンくさいから、とりあえず飛ばされて壁にぶつかってたりとか……。

MB 身体を使う感じでしたよね。

義太夫 そうです。もう人体実験みたいなもんですよね。

MB 36年の芸歴の中で、身体を張った芸というのはどれぐらいまで続けられてたんですか?

義太夫 ずいぶん長らくやってましたよ。現場に酸素ボンベが用意されてるっていうような……。だって、息があがっちゃうんですよ。例えば、円谷プロから借りて来た怪獣のぬいぐるみに入れられて、それでマラソンをやれとか、ボクシングをやれとかね。今だったらコンプライアンスとかで絶対ダメなようなものもね。でも逆に言えば、いい時代でしたよね。

MB 確かに、当時のテレビ番組ってめちゃくちゃ面白かったですもんね。

義太夫 そうですよ。だって、普通に爆破されるんですから(笑)

MB そうですよね。もう、腹抱えて笑ってて。「これ、大丈夫なのかな」とか思いながら見てました。

義太夫 そうやって見ていただけるのが、一番良かったんですけど、やっぱりだんだん過激になっていくと、文句を言いだす人が現れて。

MB 今は本当にそうですよね。

義太夫 「アレを見て、子どもがイジメに走ったらどうする?」とか。どこの子どもが、ワニを連れてるんだっていう……(笑)

MB 確かに(笑)

義太夫 だから、軍団に入って20年ぐらいは、そういう体力系の芸を続けてたのかな。昔はそんな番組ばっかりだったじゃないですか。『スポーツ大将』とか『たけし城』とか……。

MB あぁ懐かしい『たけし城』。……それで身体を酷使していったわけじゃないですか。それが今になってツケになってるってこともあるんですか?

義太夫 これはホントにね……。ある時『ヒット&ビート』っていう、たけし軍団の番組が始まったんです。それまでは殿の番組に出てたんだけど、これは軍団の冠番組だから色々と頑張ろうって、意気込んでたんです。で、その番組の中に対決コーナーがあったんですけど、それでやらされたのが、色んなものを中ジョッキで一気に飲むって企画。最初は牛乳とかだったんで、ちょっとお腹を下すぐらいで済んでたんですけど、だんだん飲むものが無くなって来て、ついにはガムシロ。ガムシロを中ジョッキで一気飲みですよ(笑)。で、それを飲んだと思ったら、今度はハチミツが出てきて、最後はカルピスの原液。……その3連発で、糖尿になったんじゃないかって。だから、俺の糖尿は労災だなって(笑)

MB その糖尿だっていうのが発覚したのは、何歳頃のことだったんですか?

義太夫 36歳の時だから、もう24年前ですね。

MB あぁ、じゃぁちょうど今の僕ぐらいの歳ですね。

義太夫 その前の年に、親父が糖尿で死んだんですよ。食道動脈瘤破裂っていう合併症で。それで「糖尿で死んじゃったよ」って言ってたら、その1年後に自分が発病したっていう。

MB あぁ、そうなんですね。

ph0006

義太夫 自分では夏バテだと思ってたんです。その頃、デブばっかりを集めてオリンピックをやるっていう『デブリンピック』っていう番組の企画があったんですよ。ウガンダさんとかホンジャマカの石ちゃんとかも出てて。それで、オープニングで体重を測るんですけど、自分は100キロだって申告して行ったら、88キロぐらいしかないんです。でも、自分では全然そんな覚えがない。メシも普通に食ってるし、運動もしてないし……。で、後からお医者さんに聞いたら、それは糖尿の表れですって。

MB へー。自覚症状は全くなかったんですか?

義太夫 今考えると、テレビで字幕が見づらかったり、妙に疲れやすかったりとか……。あとは、喉が渇いてトイレが近くなったりとかね。てっきり、夏だから汗をかいて水を飲むからトイレが近くなるんだと思ってたら、それは完璧に糖尿の初期症状らしくて。

MB そうなんですか。その頃は毎年、定期健診とかをしてて……。

義太夫 いや、してないです。ウチは完全放し飼いなんで(笑)

MB なるほど(笑)。じゃぁ、自分で行かれることもなかった?

義太夫 なかったですね。病院に行くとしたら、どちらかというと外科ばかりでしたから。当時、東京女子医大にはすごくお世話になりましたから。何かというとあそこに運ばれて、医者や看護婦さんに「また来た」って言われて。

MB へー、それは収録で怪我をしてってことですか?

義太夫 そう。だって『ガンバルマン』とかって、アレは2本撮りだったんですけど、1本目の収録に10人いた軍団が、2本目は7人しかいないんですよ。

MB 3人は運ばれてるってことですか(笑)

義太夫 それに関しては、誰も何も触れないっていう……。

MB すごい(笑) ……それで、糖尿が発覚してからは、どういう風に立て直していったんですか?

義太夫 本当は、親父が生きている間に勉強できればよかったんですけど、それができなかったんで、全然分かんなかったんですよ、糖尿病って言われても。とりあえず最初の2週間ぐらいは、教育入院っていうのをするんですけど、そこで食事制限を教わったり、インシュリン注射を打つ練習をしたり……。

で、糖尿の怖いとこって、合併症があるのもそうなんですが、もうひとつは痛いとか辛いとかっていうのが一切ないとなんですよ。例えば風邪だったら、薬を飲むと熱が下がったりするけど、糖尿の場合は調子が悪くて薬を飲んでも、それが効いたかどうかがわかんない。だから糖尿の患者で一番多いのは、自己判断による通院中止なんです。行かなくなっちゃう。

MB なるほど。別に何ともないと思っちゃって。

義太夫 「別に調子がいいからいいよ」ってことで、インシュリンや薬が無くなっても、病院にもらいに行かなくなると。僕も例に漏れずそんな感じだったので、その間にどんどん進行していったと。

MB そこから「ヤバいな」って思ったタイミングって、何かあったんですか?

義太夫 やっぱ糖尿よりも、最初の合併症ですよね。僕の場合は腎不全……最初は糖尿病性腎症っていう、血液の汚れが全然落ちてないっていう病気になったんです。でも「このままだと透析になっちゃうよ」って言われても、「人工透析って何?」って感じで、全然ピンと来なくて。自分の周りでやっている人もいなかったし、自分でも調べる気もなかったんで。

MB 腎不全の状態になってる時って、身体には特に自覚症状はなかったんですか?

義太夫 いや、すごかったですよ。要は尿に入ってる毒素が出ていかないんで、体中に吹き出物が出ましたし、それにくわえて極度の疲労感。ウチからコンビニまで直に行けないんですよ、一回休まないと。それで、さすがにこれは身体からのサインだなって思ったんですけど……。

MB それはいくつぐらいのことですか?

義太夫 それは2007年のことですから、50歳になる前ぐらいですね。

ph0003

MB さすがに、それでマズイと思って……。

義太夫 マズイと思って、ちょっと事務所に相談して病院に行こうかなって思ってた頃に、ある番組の収録があって。僕はMCだったんですけど、最初のガナリの時「○○○クイズ~」って叫んだ瞬間に、ぶっ倒れたんですよ。

MB ええええ!

義太夫 もう意識が無くなっちゃって、大変だってことで、東京医大に運ばれたんです。それで、クレアチニン値っていう血液の汚れをみる数値があって、8.0を超えると透析になるんですけど、僕の場合11.6あって……。有無を言わさず透析になっちゃいましたね。

MB なるほど……。

義太夫 で、今はこうやってシャントっていうのを作ってやってますけど、最初はこれがないから、股の動脈にカテーテルをその日のうちに入れて、3時間ぐらい透析をして……。それが最初でしたね。

MB 透析はその後も繰り返しやったんですか?

義太夫 そうですね。これはもう一生やらないといけないんで。一生やらなくて済むには、もう移植するしかないんですよ。

で、透析って2つのタイプがあって、血液透析と腹膜透析っていうのがあるんです。血液透析っていうのは、専門の病院に行ってやってもらわないといけないんですけど、腹膜透析のほうは自分でできるんですよね。お腹から管を出して、それを専用のタンクに繋いで血液をキレイにするんですけど、一回30分で一日4回。それで「仕事をしている人は腹膜透析のほうが多いですよ」って言われて、お医者さんからはそちらを勧められたんですよ。

でも、そこでパッと考えたんですけど、腹膜透析の場合は絶えず管が出てるわけじゃないですか。……そんなのをウチのメンバーが見たら、絶対に悪戯するに決まってるじゃないですか。だって、らっきょちゃんがヘルニアで入院した時に、ダンカンさんが持ってきたお見舞いは、フラフープでしたからね(笑)

MB (笑)。

義太夫 腰が全然動けないのにフラフープですよ。婦長さんに死ぬほど怒られてましたもん。「あんた、病院でふざけるのはやめなさいよ」って。……そういう身内だから、「腹膜は絶対にやめよう」ってことになって。

MB それは、すごく軍団のノリが感じられますね(笑)

義太夫 そもそも、ウチの師匠がそんな感じですからね。これもまたらっきょちゃんの話なんですけど、ぜんそくで入院してて「家族を呼んでください」っていうレベルだったんです。それで酸素マスクを付けて寝てたんですけど、急に暴れだしちゃって。どうしたんだって思って見たら、殿がチューブを外してそこにタバコの煙を入れてたんですよ。世界の北野がすっげー怒られてましたよ、その時は。

MB スゴイ(笑)

義太夫 もうダメですね、うちの軍団は。社会不適合者の集まりですから。

MB 思いついてもやんないですよね(笑)

義太夫 普通はやんないでしょ? でも、思いついたらやっちゃうんですよ、ウチの人たちは。だから、血液透析にしてもらったんですよ。

MB なるほど~。

義太夫 だけど、血液透析は週に3回で一日5時間かかるから、週に15時間はベッドに繋がれるわけじゃないですか。だから、仕事が来ても断らないといけなくなってりして。それで事務所のほうが、できる仕事でってことで、書く仕事とか音楽を作ったりだとか、今はそういうのをやらせてもらってるんです。

MB ちなみに身体的に痛いことはあるんですか、その透析をしてる時っていうのは……。

義太夫 透析してる時は痛いっていうことはないんですけど、透析一回につき2回は針に刺されるってことなんで。……シャントって触ったことあります?

MB ないですないです。

義太夫 ちょっと、ココに手をこうやって……。

MB ……おお、スゲー。

ph0004

義太夫 ココに血液が流れてるんですよ。普通、動脈には針を刺せないんで、静脈から針は刺すじゃないですか。でも、静脈だけだと血流が足りないんで、動脈のところから持ってきてると。でもスゴイですよね、人間の身体って。

MB へー。

義太夫 しかも、シャントはこれで3つ目ですからね。1個ダメになり、2個目もダメになりで。

MB ダメになったりするものなんですか。

義太夫 やっぱり、血栓が詰まったりだとか……。体質にもよるらしいんですけど、あとは食生活とか。やっぱり、脂っこいものを食べてると詰まりやすいと。

MB なるほど。……そういうのを、メルマガで明るく書かれているんですね。

義太夫 そうですね。読んでもらって、少しでも笑っていただければいいなって思ってるんですけどね。

義太夫さんのファッションポリシーはアメリカン?

義太夫 でもMBさんって、昔からオシャレとかファッションとかに興味を持っていたりしたんですか?

MB そうですね。お笑い番組と一緒で、兄の影響で子どものころから洋服が好きだったんです。

ph0005

で、いま思い返してみると、全てがたまたまのようで、たまたまじゃないようなって感じがするというか……。洋服が好きだったから、今も洋服の仕事をやってるし、あと僕は、大学を卒業した時に先生になろうと思ってたんです。人に教えることをずっとしたくて。で、今は洋服の着こなし方だったりとか、そういう人生論だったりだとかを人に教えることをしてるし、なんか全部繋がってるなって思って。

例えば最近はYoutubeもやってるんですけど、それに関しても、まだユーチューバーっていう言葉が無い時代から、僕は動画でモノを売るっていうのをずっとやっていて。だから、何も変わらずにずっと楽しくやってるってことが、たぶん人生においても仕事においてもいいほうに働いてるのかなって思ってます。

義太夫 でも、うらやましいですね、おしゃれな人って。僕なんか子どもの頃から肥満児学級で、もう叩き上げのデブなんですよ(笑)。だから子どもの頃から、服は入るか入らないかで決めてましたから。おしゃれなんかさせてもらえなくて、ウチの母親が買って来るものを着るっていうか。

それで一番ショックだったのが、『ひょうきん族』に出た時に、コントで着たジャケットがむっちゃくちゃカッコよかったんですよ。それで衣装さんに「これ、僕欲しいんですけど、どこに行って買えます?」って聞いたら、両国のライオン堂って言われて。お相撲さん御用達の店だったんですよ。

MB (笑)。それはちょっと悲しくなりますよね。

義太夫 そう。サイズとかもXL以上だったんで……。

MB 僕も子どもの頃にすごく太ってたんですよ。で、小6の頃に一気に身長が伸びて、それで結果的に体重が減ったんですけど。

義太夫 でも、この世界に入ってからは、渋谷の道玄坂を上がったところにBIG-ONEっていって、デブ専門……いや、ビッグサイズの服屋さんがあって、そこで買うようにしてたんです。すごいんですよ、そこのバーゲンが。店員がみんな太ってるんですよ。そこがもう安心感ですよね。で、客も全員太ってるでしょ? もうなんていうか、蒸かし器を開けた肉まんみたいな感じで人がいっぱいいて。で、よく見るとウガンダさんもいて……。

MB ウガンダさん、よく出てきますよね(笑)

義太夫 あと松村とか伊集院くんとかも買いに来てて。だいたい、彼らが出てる番組とか見てると、最後のテロップで「衣装提供 ビックワン」って出てるんですよね。……でも、そこに行くと……生まれて初めてですよ。店員さんに「うーん、義太夫さんだったらMかな?」って。「え、Mサイズなんだ?」って(笑)

MB でも昔と比べると今は、太っている人用のブランドとか、太ってる人用のファッション雑誌とか、そういうのが出てきてますよね。

僕も今「デブBプロジェクト」といって、太ってる人に向けてオシャレにするみたいなことをやってて、興味がある人を集めて、意見交換会とかやってるんです。デブってどんな時に困るとかってことを聞いて、それで洋服を作ろうとしてるんですけど、例えばしゃがんだ時に肉が出るから、Tシャツがそこだけおかしな形になるとか、いろいろとあるんですよ。でも、そういう話を聞いてると、集まった人はみんなすごくおしゃれなんですよ。今は太ってる人とか、逆にガリガリの人とかがおしゃれができる土壌っていうのが、昔と比べてとても整っているからね。いろんなブランドから、そういう人向けのアイテムが出てるんで。

義太夫 確かに、いろいろと選択できるようになりましたよね。

MB そうです。昔みたいな選択肢がデブ専門店だけっていう状況ではなくなってます。

―――ちなみに義太夫さんは、どんなファッションがお好みなんですか?

義太夫 いや、今はもう夏はTシャツ、冬はネルシャツみたいな感じですね。

ph0007

MB でも、良いか悪いか分かりませんけど、痩せられましたもんね。

義太夫 そうです。40キロぐらい落ちて、今は70キロぐらいです。ピークが110キロぐらいだったんで。

MB そうなんですか。僕が今67キロぐらいなんで、そんなに変わらないですね。

義太夫 だから殿に言われましたよ。「半分になって生きてるのは、お前とヒトデぐらいだ」って(笑)

MB 今日、義太夫さんとは初めてお会いしたんですけど、もっと大きいのかなって思ってましたから……。

義太夫 よく言われます。「もっと大きいと思ってた」って。ずいぶん縮んじゃいました(笑)

MB ここ最近ですか? 体重がぐっと減ったのって。

義太夫 やっぱり病気になったというのと、たぶん今は食事のコントロールが効いてるんだなって。自分ではそう思いたいところなんですけど。

MB きっとそうですよね。食事のコントロールをされてるからですよね。だって、10年前とかまで行かないぐらい前のテレビで見た時は、もっとふっくらされてた記憶があるから……。

義太夫 あぁ、確かその頃は80キロぐらいありましたからね。もうちょっとふっくらしてたかな。

MB あれって何の番組だったっけ、確かダウンタウンさんの番組だったような……。

義太夫 あぁ。何か松本くんが気に入ってくれててね。よく呼んでくれるんですけど、意味のない役ばかりなんですよ。

―――水中で息を止めるやつとか……。

義太夫 そうそう。その水中息止め部が、今スウェーデンですごく人気になってるらしくて。

MB え、そうなんですか?

義太夫 スウェーデンの友達が送って来てくれて、「これ、あんただよね?」って言われて、「そうだけど」って(笑)

―――でも、今その体系なら普通にファッションを楽しめるんじゃないですか?

義太夫 そうなんですけど、怖いんですよ。何か言われそうで。「あいつ、ちょっと痩せたからって、おしゃれになりやがって」みたいなことを(笑)

MB でも、師匠はおしゃれじゃないですか。

義太夫 そうですよね。でも昔は、イッセイミヤケさんから「もう着ないでくれ」って言われたらしいですよ。ウソか本当かわかんないですけど……。

MB たけしさんは山本耀司さんのなんかも、よく着られてますよね。

義太夫 そうそう、映画とかでもね。……まぁ、でも私もオシャレしてみたいですけどね。

―――MBさんから見て、義太夫さんはどんな感じが似合いそうですか?

MB どんなのがお好みなのかが分かんないですけど、このぐらいの体形だと、普通にジャケットとかでパリッと着ても、かっこ良さそうですけどね。Tシャツの上にジャケットを羽織ってみたいな。

義太夫 なんか、その気になっちゃいますよ(笑)

MB (笑)。よろしければステージ衣装でも何でも作らさせてもらいますから。

ph0002

―――そういえば義太夫さんは、最近ジーンズを買われた話をブログでしてましたけど……。

義太夫 そうそう。草加の商工会議所祭に行って、そこの古着屋さんで……。今日履いてるのがそうなんですけど、さっきいきなりハンバーガーをこぼしちゃって、ちょっとへこんでるんですよ(笑)

そう考えると、やっぱりジーパンとTシャツっていうのが多いですね。……音楽をやってたからってわけじゃないですけど、ブリティッシュかアメリカンかっていうと、やっぱブリティッシュってシュッとした人たちがやる音楽ってイメージがあって。「あぁ、俺にはこっちは無理だ」って思って……。

MB それでアメリカンに行ったんですか。

義太夫 そう。見た目が汚くて、なんか安心するじゃないですか、ZZトップとか。というか、僕が中学の時に初めて好きになったのがシカゴだったんで……。

MB あぁ、いいですね。

義太夫 73年に2度目の来日をした時に、武道館に見に行ったんですよ。僕が中2の時に。それで、冒頭で「音楽はアメリカンロックだ!」って煽ったと思ったら、1曲目が「マジカル・ミステリー・ツアー」だったんですよ(笑)。もう、倒れちゃいましたよ。「ビートルズじゃねーかよ!」って。

MB 思い切りヨーロッパじゃねぇかと(笑)。しかし、全部にオチを付けてきますよね。流石です。

義太夫 いやいや、ホントなんですって。驚いたんですから。

MB 僕も中学生の頃にハードロックに目覚めて……。

義太夫 えっ、最初に聴いたのは何ですか?

MB 最初に聴いたのはボン・ジョヴィでしたね。

義太夫 あぁ、ボン・ジョヴィね。

MB そこからだんだん遡っていって、ディープ・パープルとかレインボーとかリッチー・ブラックモアを聴いて、それからもうちょっと分かりやすいハードロック、なんか商業ロックみたいなジャーニーだとか、あの辺の80年代の曲にハマってました。

義太夫 僕は中学の3年間はシカゴしか聴いてなかったんで、何にも知らなかったんですよ。で、高校に入って友達からディープ・パープルやレッド・ツェッペリンとかを教えてもらって、「こういうのも聴かなきゃだめだよ」「は、はい」みたいな。

MB でも、やっぱり一番の核になってるのはシカゴなんですか?

義太夫 そうですね。やっぱブラスロックを初めて聞いた時の衝撃がすごくて……。

MB ブラスロック、すごくかっこよかったですよね。僕も初めて聴いた時に「あぁ、すごい音楽だな」って思いました。

義太夫 ブラスロックというとシカゴにチェイス、BSTとかもいたけど、シカゴが一番洗練されてたっていうか。

MB そうですよね。

義太夫 テリー・キャスとか好きだったんですけどね。ロシアンルーレットやってて、弾が出ちゃって、それで死んじゃったんだけど。……それで、来日した当時はまだ成田が無くて、到着の日に羽田に行ったんですよ。そしたら目の前をメンバーが通っていくのが、すごくかっこよくて……。ちょうど日本で「長い夜」がヒットした後で、到着ロビーはすごい人だったんですよ。

MB なるほど。もう、どっぷりアメリカンだったんですね、義太夫さんは。

ph0008

……と、これが初対面とは思えないほど、話が弾んでいたお二人。ここでご紹介した内容以外にも、「ネガティブをポジティブに変えるには?」「好きなことを仕事にするということ」といったちょっと真面目なお話から、義太夫さんと師匠のビートたけしさんとの心温まるエピソード、果てはMBさんが義太夫さんメルマガの読者増加策を考えるという、完全楽屋ネタな話題も飛び出すなど、とても興味深い内容のトークとなりました。

なお、この対談の全文は、以下のMBさんと義太夫さんのメルマガにて公開中。いずれかのメルマガにご登録いただき、12月内の配信をお待ちください!

電話番号 or メアドだけで登録可能!
12月中のご登録なら濃厚トークの全文が読める!無料登録はこちらから!!
●MB/【最も早くおしゃれになる方法】現役メンズバイヤーが伝える洋服の着こなし&コーディネート診断』
●グレート義太夫/グレート義太夫の「貰えるものなら病気でも!」

グレート義太夫この著者の記事一覧

仕事の事・音楽の事・病気の事…。出会った事・思いついた事…。片っ端からつらつらと書いていきます。50歳を過ぎて「寄席芸人」を目指す「時代に逆行した男」のメールマガジン。どんな内容が飛び出しますか、乞うご期待!

有料メルマガ好評配信中

  初月無料で読んでみる  

この記事が気に入ったら登録!しよう 『 グレート義太夫の「貰えるものなら病気でも!」 』

【著者】 グレート義太夫 【月額】 ¥550/月(税込) 初月無料! 【発行周期】 毎月 1日・15日(祝祭日・年末年始を除く) 発行予定

print
いま読まれてます

  • 【グレート義太夫×MB】MBさんも唖然。義太夫さんが血液透析を諦めた仰天理由
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け