教育の現場で教師は子どもに対して、どのような接し方をするのが適切なのでしょうか。今回の無料メルマガ『「二十代で身につけたい!」教育観と仕事術』では著者で現役教師の松尾英明さんが、ある学生の「明るさが軽さに見えていないか」という指摘の重要さを考察するとともに、「教師が取るべき態度」について解説しています。
「明るさ」が「軽さ」に見えていないか
大学で、クレームにつながるような事例を扱い、その対応について話し合う場があった。その中で、「『明るさ』が『軽さ』に見えてしまっているのではないか」という発言が出た。まだ社会での現場経験のない学生の発言である。
これは、非常に的を射た指摘である(実際に、今まで教えを受けた歴代の「先生」達に対し、そう見えていたのかもしれない)。ここについて考える。
学校を含め、世間ではいわゆる「フランク」で良いという風潮が何となく感じられる。カジュアル志向である。特にITベンチャー企業では、服装もかなり「カジュアル寄り」である。この業界の元トップが、いつも黒のタートルネックにジーンズという出で立ちだったのも、影響しているのかもしれない(いわゆる「ギーク」の台頭である)。
しかしである。ITベンチャー企業の天才達は、揃いも揃って「変人」ぞろいである(だからこそ天才なのである)。歴代の天才は、服装や人間関係に無頓着な人も多い。どんな格好や奇行をしていても、「天才」だから結果的にOKなのである。ベンチャー企業という存在そのものも、既存の価値観に抵抗する面があるから、「きちんと」を嫌うのも理屈に合う。
ただ、これを一般に取り入れるのは、間違いの元である。特に、教師という仕事について言えば、尚更である。現場教師には、そういうフランクさよりも、子どもへの丁寧な対応が求められる。職場の若年化が進んで、保護者の方がずっと人生経験も何もかも上だから、一つ一つが「テキトー」だと、何かと不安なのである。
つまり、ただでさえ色々と至らないのだから、服装ぐらいまともな方がよい。言葉遣いぐらい、まともな方がよい。そうした上で初めて「授業が下手」なのも、まあ仕方ないと思ってもらえる(可能性がある)。
だから実習生には「きちんとしすぎ、丁寧すぎると思うぐらいで丁度いい」と教えている。
保護者の声が「クレーム」に発展してしまうのも、ここが無視できない。保護者に対応する時の服装や言葉遣いを言っているのでない(ここもよろしくないことが多いかもしれないが)。普段の、日常の振る舞いが保護者には全て伝わっている、ということである。
子どもに対する時も、多くの人は自分の中で「丁寧すぎる」「準備しすぎる」ぐらいで丁度いいのである(余程育ちが良くて教養の高い人なら別であるが)。そこを意識してやっと、「教師の子どもに接する態度として許容できる」のぎりぎりラインである。
本人としては、くだけることで「明るくフランク」なイメージを与えて親しみやすさを出したいのかもしれない。しかし、スタートライン自体が保護者から見て十分「下」すぎる。単なる「横柄で無礼でテキトーな人物」に見えている可能性がある(「無礼講」で本当に上司に無礼をしてしまうような人である)。
だから、丁寧すぎるぐらいで丁度いいのである。子どもへの接し方が、そのまま保護者への接し方なのである。
そのクレームは、その事件・問題そのものが根本的な原因か。もしかしたら、もっと日常の根本に原因があるのかもしれない。
「明るさが軽さに見えていないか」
現役の学生から全ての現場教師に向けた、なかなかに含蓄のある指摘である。
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