共通テスト記述式反対の私が感じる「振り回された」発言への疑問

 

2)「共通テストをやめてセンター試験に戻せば万事OK」。それは本当か?

教育に一家言もった人たちが、ウェブ上でこうした論を展開しているのをよく見る。枚挙にいとまがないので例は挙げないでおくが、ちょっと注意深く問題を追ってきた人であれば、きっと目にしたことがあるだろう。というより、これをお読みのあなたも、実はそうお考えなのではないか。

たしかに、紅野謙介氏らが述べているように、たとえ記述設問がなくなったとしても共通テストには問題が残っている。たとえば、上記リンク先で「「言語活動の場」を仮想した話題設定・複数資料の提示・会話文の挿入など」と書かれているあたりだ。通常の文章(連続型テクスト)ではない、非連続型テクストと呼ばれる類の「テクスト」である。

これ、私も本当に嫌いだ。ごちゃごちゃしている。飾っているだけだ。もっとシンプルな問題を使っても、同じ思考力を測ることはできる。その意味で、共通テストはまだまだ変えていく要素が残っている

しかし、だからといって、「シンプルな文章と問いだけで構成されていた従来のセンター試験に戻せばよい」と主張するのは、ちょっと踏みとどまってほしいところである。

これまでのセンター試験にも、悪問はたくさんあった。たとえば、2012年に上梓した『国語が子どもをダメにする』(福嶋隆史著・中公新書ラクレ)の中で、私は、2011年のセンター試験小説読解の本文・設問の一部を引用し、その悪問っぷりを詳細に分析している(ここではその内容は省くが)。

マーク式設問が陥りやすい1つの見逃せない欠点は、「測りたい思考力思考技能が備わっていなくても正解できる選択肢群」を作ってしまうことができる点にある。たとえば、設問文の上では「――部は、なぜですか」と理由を問うており因果関係整理力を明確に求めているにもかかわらず、選択肢を選別するプロセスでその因果関係整理力を発揮しなくても済んでしまう、といったパターンだ。

こうした点で、真に思考力を測るテストをマーク式で作成することは難しく、たとえ歴史あるセンター試験であっても、まだまだ改善点が多々残っているわけだ。だから、単純にセンター試験に戻せと主張するのは避けるべきなのである。

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