「起立!気を付け!礼!着席!」。学校現場で昔から行われてきた号令ですが、違和感を抱いていたという方もいらっしゃるのではないでしょうか。今回の無料メルマガ『「二十代で身につけたい!」教育観と仕事術』では著者で現役教師の松尾英明さんが、学校における号令について、現代教育が目指す方向性との整合や言葉としての正しさの視点から検証しています。
授業の開始が「号令」でよいか
言葉について。学校やその他の場で、誤用と思われる言葉がまかり通っているものは、かなりある。例えば、授業の開始や終わりに「号令」をかける。日本においては、どこの教室でも見られる一般的なことである。学校文化における「暗黙の了解」の一つである。
「号令」の意味を検索して調べる。次のように出る。
ごうれい【号令】
- 《名・ス自》支配者や指揮者が、統率する者に命令・指図(さしず)をすること。
- 《名》指揮者が、一定の型に従って発する、ある動作をさせるための言葉。「─を掛ける」
「命令」として用いるものである。あるいは、ある動作を「させる」ためのものである。今の学校教育の目指す方向からすると、これは逆行しているようである。また、そもそも子どもは授業の支配者でも指揮者でもないので、「号令」をかけるのもおかしな話である。
授業の開始や終わりにするとしたら、「礼」が妥当なのではないかと考える。「これから一緒に学びましょう」という、相手や場、全てへの礼である。
授業前の「号令」に関してもう一ついうと、座った姿勢のまま「気を付け」という場合も、言葉がおかしい。気を付けは、直立して行う動作を指す。椅子に座ったままではできない動きである。
私は師に「言葉のコードに敏感になれ」と教えられてきた。その言葉が本当に適切なのか、吟味せよということである。例えば決意表明等で「〇〇しようと思います」などと言うと「思うだけか。やらないのか」と詰められる。言葉の使い方が、あやふやなのである。
こういうことは、結構ある。知らないが故の失礼ということもある。例えばよくある「参考になりました」は、目上の人には使えない。言葉を知っている相手にとっては、実は失礼に当たる。それは自分の考えの「参考程度」「付け足し」ということである。
もちろん、言った本人にそんなつもりがないことは、言われた側は百も承知である。だから、悪気がないからこそ、「どこかで伝えないと」とは思いつつも、なかなか言えないというのが現実である(大抵、「参考になりました」と言ってくる人は、いい人である)。
子どもにかける言葉も、本当にそれでよいのか、時に振り返る必要があるように思う。
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