老子を読んで判った、歩んできた道のりが醸し出す「自分らしさ」

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身なり・発言・立ち居振る舞い…それなりの立場のある人に、周囲は「らしさ」を求めます。しかし、「代表らしさ、社長らしさ」などにこだわることは、そもそも必要なことなのでしょうか。今回の無料メルマガ『毎朝1分! 天才のヒント』では著者の倉橋竜哉さんが、古代中国の思想家・老子の言葉を引き合いにしつつ、自然体の自分であり続けることの大切さを説いています。

代表らしさ(「老子」第19編より)

鍋奉行ではなく、鍋足軽の倉橋竜哉です^^;

「もっと威厳があったほうがいいんじゃない?」と友達からちょくちょく言われてることがあります。日本マイブレス協会という団体の代表をやっているのでおまえ、もっと「代表らしく」振る舞った方がいいんじゃないかと。

「代表らしさって何よ?」と聞くと、もっと身なりに気をつかえ、もっと自分から話をしろ、あまりちょこまか動くな、つきあいをサボるな、腰が低すぎる、落ち着け、オーラがない、…etc、これでもか、といろいろダメ出しを喰らうわけです(涙)。友達だから忌憚なく言ってくれるわけで、それ以外の場では「言われないけどそう思われてる」と考えて間違いないでしょうね。

あー、つくづく自分は代表ってガラじゃないなぁなんて思ったりしますし、不特定多数の人が見ているココでそれを書いちゃうのもどうなの?という気もしないでもないですが、本人も「自分でわかっているんだぜ」ということであえて書いておきたいと思います(おい!)。

どうしたらいいのかな?とイタリアのスーツを着て、金のネックレスと指輪をして髪に強めのパーマを当てればいいのかな?とか(たぶん違う)、手っ取り早くなんとかならんものかな?とか、そもそもオーラって何よ?なんて思うわけですが、あれこれ考えても「面倒くさそう」とそれ以上考えるのを脳が拒否するので、きっと根っから「代表らしさ」には向いてないんでしょうね(ごめんなさい)。

なんとも頼りなく、申し訳無い気持ちでいっぱいですが、老子の19編を読んだ時に「このままでもいいかな」と腹に落ちる感覚がありまして、今から約2,400年に中国で書かれた「老子」には51編の教えがありますが、老子の第19編に、こんなメッセージがあります。

聖を絶ち智を棄てれば、民の利は百倍す。

 

仁を絶ち義を棄てれば、民は孝慈に復す。

 

巧を絶ち利を棄てれば、盗賊の有ること無し。

 

この三者、もって文足らずとなす。故につぐ所あらしめん。

 

素をあらわし樸を抱き、私を少なくして欲をすくなくせん。

君主が威厳と知恵を捨てれば、民は100倍豊かになる。仁義を説くのをやめれば、民は優しい心を取り戻す。技術や利益を手放せば、盗む人はいなくなる。「捨てろ、捨てろ」というだけでは不十分かもしれない。もっと「やるべきこと」を伝えよう。身なりは質素で、飾り気のない木を持ち、私心を抑えれば、欲を少なくすることができる。

…というような意味でしょうか。自分を大きく見せようとするあまり、見た目や言葉が大きくなったり、恩を着せようとすると、周りに迷惑をかけるよ、ということであります。「威厳とかってめんどくさい」と思う自分もいる一方で、ついつい背伸びをして、カッコよく大きく見せたくなる自分もいて、たまに、そういった自分がムクムクと起き上がることも無きにしもあらずですが、自然体の自分で一歩一歩を歩んでいき、私ではなく、歩んできた道のりが「代表らしさ」を醸し出してくれるようになればいいな、と思います。

これをお読みのあなたは、手に入れたい「らしさ」はありますか?

★まず私からあなたにこの言葉をお届けします

「らしさはどこから生まれますか?」

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