今や知らない人はいないほどの世界的な大企業となったマイクロソフト。「オタク集団」であったマイクロソフトは1975年の設立から飛躍的な発展を遂げていきました。会社が大きくなれば、大切になってくるのがマネジメントや組織力。マイクロソフトのCEOであるビル・ゲイツもさまざまなことを語っています。無料メルマガ『戦略経営の「よもやま話」』の著者である浅井良一さんは、この内容とともに、ドラッカーの言葉も踏まえて詳しく紹介しています。
“オタク”が持つ“知識”
ビル・ゲイツは面白いことを言っています「“オタク”には親切に。いつか彼らの下で働くことになるでしょうから」と。これこそがマイクロソフトの“強み”ある「勇気にかかわる原則(未来を、機会に、独自性を、変革を)」を成さしめた大きな源泉で、それが、時代の求める“効用”と合致したことで爆発したのでした。
マイクロソフトの少し前「IBM」は、その地位にありました。IBMは、非常に顧客本位でその要望に敏感な優良企業でした。けれど見込み違いがあったのです。「われわれは外の世界を知らない。たとえ業界リーダーの地位を占めても、同種の財やサービスを購入している人たちの過半は自社の顧客ではない」とはドラッガーの言です。
IBMは精通していない「パソコン」市場という“機会”に鈍感でした。また“ソフト”に大きな“機会”があることにも鈍感でした。だからIBMは、自社では人材不足で不得意な“ソフト”という新たな“機会”を、その市場に秀でて波長を同じくする「オタク集団」である“マイクロソフト”に献上したのでした。
このことについてゲイツは
「我々には、偉大な大物たちが見過ごしてしまった“アイデア”があった。我々は常に、トップの座を守るために必要なアイデアを見逃しはしなかったかと考えている」
けれど、後にゲイツも自身が偉大な大物になった時に、グーグルやフェイスブックに“アイデア”負けするのは世の常の皮肉なのでしょうか。
※ 「クレイトン・クリステンゼン」が「イノベーションのジレンマ」として「業界のトップ企業がシェア獲得後に既存製品の改善・改良によりさらなるシェア向上を目指す“持続的イノベーション”に注力するあまり、失うもののない新興企業の生み出す“破壊的イノベーション”に対処することができず衰退していく」と説明されているのですが。
ここで、桁違いな世界企業で起こったことについて述べるのですが、これからの時代、すべての企業に起こることを予感してほしいからです。持てる企業でも衰え、持っていない企業でも栄えることができるので。多くの企業は、少なからずの何かを持っているでしょう。だから、より継続・成長させるために、よりよく知ることが肝要です。
ドラッカーは「成果をあげるには、自らの果たすべき貢献を考えなければならない。手元の仕事から顔を上げ目標に目を向ける。組織の成果に影響を与える貢献は何かを問う」「自らが自らに求めるものが少なければ成長しない。だが多くを求めるならば、何も成長しない者と同じ程度の努力で、巨人にまで成長する」と言います。
マイクロソフトの創業者はご存じのように、ビル・ゲイツとポール・アレンですが、マネジメント志向の強いゲイツのもとにスティーブ・バルマーらの多彩な能力を引きつけ参画させ、技術優位の企業でありながら、戦略志向の強い企業になったと言えそうなのです。ただの技術志向の企業でないことが、後の大きな成長へと導きました。
“組織”については、こんなことを考えて構築されています。
「ポールも私も、大企業でソフト開発に携わった経験があったので、管理が行き届いていることが時にマイナスであることを知っていました。我々が一番望んでいたのは、人材や開発ツールに投資することにより、優秀な人材が集まって楽しく仕事のできる環境を作ることでした」
その方法として
「会社が成長するにつれ、組織内に小さな組織をどんどん増やしていった。少人数のチームはコミュニケーションも効率的だし、組織が大きすぎるためにスピードが落ちるといった障害もない」
ドラッカーは「マネジメントのリ-ダーシップなくしては、生産資源は資源に留まり、生産はなされない。彼らの能力と仕事ぶりが、事業の成功さらには事業の存続を左右する。“マネジメント”こそ、企業が持ちうる唯一の“意味ある強み”である」と言っています。オタクの親玉であるゲイツが行ったことは、まさにこのことでした。