税金先取りで年末に調整する国が支援金先払いで調整しない不合理

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休業要請や外出自粛要請により、多くの事業者が喘ぎ苦しんでいます。政府は助成金などの対策を打ち出していますが、申請や審査で支給まで時間がかかり過ぎる問題が生じているようです。この事態を、メルマガ『8人ばなし』著者の山崎勝義さんは、「地獄の沙汰」と表現。「先払いして救ってのちに調整すべき」と声を上げます。山崎さんは、そもそも「お願い」さえすれば従うと、民権を侮っている官権の姿勢にこの国の問題があると指摘しています。

官権とCOVID-19のこと

日本政府が打ち出しているCOVID-19関連の経済支援策は、個人向けのものも法人向けのものも決して手厚いとは言えない。仮に全ての支援金の額を10倍にしたところでその評価は変わらない。見かけ上いくら分厚くなっても「手が届かなければ」「手に渡らなければ」何の意味もないからだ。

今日か明日かといった瀬戸際に立たされている者にしてみれば、申請に手間、審査に時間、修正に手間、再審査に時間、支給は未定…まさに地獄の沙汰である。また表見的には同情を示していても「手続きがどうの、審査がこうの」と言うばかりの役人は地獄の悪鬼にしか見えないことだろう。非常時において日本の官僚形式主義は残酷なまでに融通が利かないのである。

喩えて言うなら、緊急搬送された先で「まずはカウンセリングから始めましょう」と言われているようなものである。こちらの希望はもっと単純で切実である。「命を救ってくれ」ただそれだけ、それだけなのである。

最近、知識人の中に「日本の官権は民権を恐れるあまり大鉈を振るえない」といった内容の発言をする人たちがぽつりぽつり出て来た。仮に近世は無視するにしても近代以降この国の官権の強さは異常である。戦時中は一時的にそれが極大化し顕在化したに過ぎず、その後も現在に至るまで基本的には変わっていない。つまり官権が民権を恐れるなどということは通時的価値観においてあり得ないのである。

故に大鉈を振るわずともお願いさえすれば、お上(=官権)の御威光に国民は皆なびき従うに違いない、と民権を侮っているのである。単にお願いしただけなのだから別段保障(場合によっては補償)する責はないという理屈である。施策として「お願い」は最も無責任な形態なのである。

今批判が殺到している、大阪のパチンコ店のことも実はこの文脈で説明できる。私はこれに関してはパチンコ店の方に理があると考えている(もっとも性懲りもなく集まって来る客に関しては言うまでもなく大いに批判的だが)。店の側に立ってみれば、そんなに言うならきちんと命令してもらいたいというのが本音であろう。命令なら責任は当然発令した側にある。そうなれば何らかの保障とセットになる筈だからだ。

しかしながらそんなことには一切触れず、ただただ「こんなにお願いしているのに」と真綿で首を絞めるようなことをされては店の方も堪らない。パチンコ店の経営事情はよく分からないけれど、仮にスーパーキャッシュフロー経営だとするならば数日の休業でも命取りになるに違いない。禁止されるギリギリまで、やれるところまで、と考えるのは思えば当たり前ではないか。

こういう非常時において、財源がどうのこうのといった議論は成り立たない。財源の財源は畢竟国民が納める税だからである。その国民を守るために金を惜しんで何とするか。

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