コロナ禍で絶好調の「出前館」にあって「Uber Eats」に無いもの

 

月間売り上げ2万円からのスタート~今や全国290拠点

この日、出前館の本社で新しい加盟店の検討が行われていた。エリア開発グループ責任者の泉憲悟はこれまで400もの店を開拓してきたスゴ腕だ。泉が狙っているのは、埼玉県の京浜東北線・蕨駅エリアの強化。他の駅と比べて加盟店が少ない。

リストから選んだのは「るーぱん」というパスタ店。店のホームページを見てみるとバリエーション豊かなメニューが並んでいる。店のイチオシは魚介とトマトたっぷりの「ボンゴレ」で500円と格安。泉は「るーぱん」をターゲットにすることに決めた。

数日後、泉が向かったのは「るーぱん」。まずは客として店の中へ。「るーぱん」は1972年創業。埼玉県内で8店舗を展開している。多くのメディアで紹介され、「埼玉県民のソウルフード」と言われるほどファンも多い。

看板メニューのボンゴレを注文した泉。必ず自分の舌で味を確認する。そして店長の遠山喜郎さんを呼び、交渉を始めた。

「今までテークアウトだけで、こちらから運んでいくことはやってなかったので、興味はあります」(遠山さん)

出前館はこうした地道な営業で加盟店を開拓しているのだ。

出前が広まったのは江戸時代に入ってからと言われている。当時の浮世絵にも、出前する蕎麦屋の姿が描かれている。高度成長期に入ると出前は全盛期に。自転車に乗り、片手でいくつもの出前を運ぶ名人芸の腕を競う、「出前コンクール」なんていうものも行われていた。今やお馴染みとなったピザのデリバリーサービスが登場したのは1985年だ。

こうした中、1999年に誕生した出前館。当時はやり始めたインターネットビジネスのひとつだ。創業当時は、出前を行っている飲食店の紹介サイトを運営するだけ。自前での配達はせず、売り上げが伸び悩んでいた。

そこで社長就任を要請されたのが、飲食コンサルタントをしていた中村だった。

「その時、月間の売り上げが約2万円くらいで、負債が2億8000万円ございました。全員周囲は反対でした。ただこの事業は、世の中に認められて、しっかり成長していけば、今は2万かもしれないけど、2億円、200億円、もしかしたら2兆円のビジネスになる可能性があるなと思ったんです」(中村)

中村が来た頃は、お客がサイトを通じて注文すると、届け先や注文内容が店のパソコンにメールで届くというシステムだった。しかし、店は調理するのに忙しく、パソコンにメールが届いたことに気が付かないことも多かった。

そこで中村は、お客が注文すると店に自動的にファックスで注文を知らせるシステムを開発。ファックスなら注文が紙に残るので見落とすことも少ない。当時はパソコンのない店も多かったが、ファックスなら大抵の店にあったため、加盟しやすくなった。

こうした地道な努力で加盟店を増やし、売り上げは3億6000万円に増加。2005年、ついに黒字化を達成する。中村は新しいビジネスの開拓者として注目を集め、2006年には上場を果たす。

出前館を軌道に乗せた中村は提携先企業「カルチュア・コンビニエンス・クラブ」の取締役となり、出前館から離れる。すると、増収増益を続けていた出前館の業績が伸び悩み、2012年には初の減益に転じる。危機感を抱いた中村は社長に復帰。出前館の立て直しを図る。

思い切って打ち出したのが出前代行サービス。しかし、人もバイクもノウハウもない。そこで「配送のプロの方と提携したらいいんじゃないかと思いまして、最初に組ませていただきましたのが、朝日新聞さんだったんですよ」(中村)。

2016年、出前館は朝日新聞と業務提携。新聞販売店が忙しいのは早朝と夕方。そこで、空いている時間に出前をしてもらうことにしたのだ。

これが当たり、注文数、売り上げともに右肩上がりに。その後、自前の配達拠点を作り、出前そのものもするようになった。今や全国に290もの配達拠点を展開している。

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