小沢一郎が動いた。「民主主義を守る」立憲・国民の合流新党は日本を救うか?

 

党名はどうなる?国民側が「投票による党名決定」にこだわる事情

そこで国民側が出してきたのが「投票による決定」だ。投票なら、たとえ結果として「立憲民主党」に落ち着こうとも、あくまで民主主義手続きで決まったのであって、立憲に吸収されたのではないと説明できる。

国会議員の投票となれば、数の多い立憲民主側の意向が反映され、新党名は「立憲民主党」になると予測はつくが、むしろそれゆえにこそ、国民側としては、決定過程が見える「投票」の手続きが欠かせない。

一方、合流協議を進めながらも、枝野代表の思いは複雑だ。立憲民主党の成り立ちからして、先祖返りのようなことをしたくないのは山々だったに違いない。

これまで国民民主党と意識的に距離を置こうとしてきた枝野氏の姿勢と、その転換過程を振り返っておこう。

2017年秋の衆院選を前に、前原民進党の合流先「希望の党」を率いた小池百合子氏のいわゆる“排除の論理”で誕生したのが立憲民主党だ。枝野氏が苦悩の中から一人で結党会見して立ち上げた新党だった。

カネも組織もない新党に、立候補者が続々と集まってきた奇跡を、我々は忘れることができない。永田町の権力闘争とは別次元の政治風景。安保法制や共謀罪などに反対する市民連合が後押しし、草の根の力がみなぎっていったのは、自然の流れだった。

捨てられた者たちの辛酸と再生のドラマが人々の瞼にいまだ焼き付いている現時点で、あたかも元の鞘におさまるかのような政治行動にまとわりつく無念さ、後ろめたさ。枝野氏の心の揺れは、新設合併方式と党名案を国民側に提示し、7月16日の記者会見に臨んだとき、明瞭な言葉で吐露された。

「今回、お示ししたパッケージとしての提案は、ゼロから立ち上げた立憲民主党をこれまで草の根から支えてきていただいた皆さんの信頼と期待に応えつつ、政権の選択肢として幅広い力を結集する責任を果たす、という両立困難ともいえる命題を解決する上での苦渋の判断に基づくものです」

両立困難な命題を解決する苦渋の判断。重い言葉である。国民との合流は、草の根から支援してくれた人々の思いに反するのではないかという自問自答。それは今でも枝野氏の胸から消えてはいない。しかし、野党結集という大局に立ち、政権奪取に向かわなければ、いつまでも万年野党に甘んじなければならない。立憲民主党が動かないと、野党結集などできるはずがないのだ。

立憲民主党が合流に向けて一歩を踏み出したのは、昨年夏の参議院選が終わってからだった。9月19日、立憲民主党、国民民主党、社会保障を立て直す国民会議の野党3党派の代表、幹事長6人が一堂に会したさい、衆・参両院で統一会派を組むことに合意したのである。

枝野氏が貫いてきた「永田町の数合わせにはくみしない」という姿勢が、これによって崩れた。「こうした戦い方が必要なフェーズに入った、ステージが変わったと思っている」と枝野氏は語った。

方針転換の背景には、参院選における「れいわ新選組」の躍進があった。立憲は議席こそ増やしたが、比例代表では、2017年の衆議院選挙より300万票以上も得票を減らした。一方、れいわ新選組が比例代表で228万票を獲得、安倍批判票の受け皿たらんと自負していた立憲に衝撃を与えた。

つねに野党結集を唱え、枝野氏の決起を促してきた小沢一郎氏は、こう語った。

「枝野さんは立憲民主党の将来に、かなり過大な見通しを持っていたが、山本太郎君が率いる『れいわ新選組』が参議院選挙で出した結果に、非常に影響を受けた」「この結果を見て大きく認識を改めたようだ。山本太郎君に表彰状を出さなくちゃいかん」(2019年10月2日、NHK政治マガジンより)

統一会派結成が決まると、枝野氏は小沢氏に会った。かつては反小沢の急先鋒だった枝野氏も、野党共闘については小沢氏を橋渡し役として頼りにするほかない。

小沢氏は統一会派結成にさいし、立憲との合流を嫌う国民の議員を説得して回った経緯がある。会派の結成だけでは不十分で、政権奪取には両党の合併が不可欠だと主張していた。

党の合流について小沢氏と話し合った枝野氏は2019年12月6日の野党党首懇談会で、国民民主党、社民党、野田佳彦元首相ら無所属議員に、会派だけではなく、党も合流しようと呼びかけた。立憲・国民両党の合流協議は、こうして今に至る。

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