「幸せ」は曖昧。まず追求すべき「不幸にならない」最低条件とは

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「幸せって何だっけ?」との問いに、調味料1つあることと歌い上げるCMが流行ったことがありました。その歌詞に「そのくらいのものだよね」と思った人もいれば「そんなちっちゃなものじゃない」と思った人もいるでしょう。「幸せ」の定義は難しく人それぞれ。メルマガ『j-fashion journal』の著者でファッションビジネルコンサルタントの坂口昌章さんは、幸せの前に不幸にならないための最低条件を提示。そこから一つの結論を導きます。

幸せになれる暮らしと仕事

幸せの前に不幸にならないこと。嫌なことはやらない。嫌な人とは付き合わない。命令されること、強制されることはやらない。好きなこと、面白いことだけで生活を維持する。それが不幸ではない最低条件だ。不幸ではない生活を淡々と過ごすのも幸せにつながる。お金があれば使うが、なければ使わなければいい。幸せとは生活の維持を超えるところにある。

1.幸せって何?不幸って何?

恋人同士で「幸せになろうね」と言う場合、「結婚したら幸せになれる」という思い込みがあるように感じる。しかし、実際に結婚してみると、そこは幸せのゴールではなく、生活のスタートなのだ。同様に、幸せの条件と考えていたものが、満たされても、幸せになれるとは限らない。

例えば、「お金があれば幸せになれる」と考える。欲しいものは何でも買えるし、美味しいものも食べられるし、行きたい場所に旅行にも行ける。「欲しいものが何でも買える」ほどのお金を手にしたことはないが、「今、欲しいものは何か」と問われても、すぐには思いつかない。車が古くなったので、新車に代えたいとは思うが、古い車でも特に不便はない。そもそも、私は「車は走ればいい」と思う方なので、ろくに洗車もしない。

もちろん、美味しいものを食べたいとは思う。たまに食べる本マグロの大トロは美味しい。でも、鰹でも鰯でも美味しいものは美味しい。食べれば美味しいと思うが、食べられなくても不幸だとは思わない。

蕎麦も美味いし、お酒も美味い。それほど美味しくなくても、まぁ、それなりに満足する。もちろん、銘酒は美味いが、安酒しかない店では、安酒もしみじみと美味い。旅行に行けば行ったで楽しいが、それなりに疲れる。ゆったりと一人で散歩するのも結構楽しい。どちらが楽しいかと言われると、どちらも楽しいと思う。

幸せに対しては曖昧だが、不幸については明確なイメージがある。何かを強制されるのは嫌だ。押しつけられたり、命令されるのが嫌だ。楽しいことでも、命令されれば嫌になる。嫌なことをやらされるのは、即ち不幸である。やりたくないことをやらされる。自分のペースではなく、決められた時間通りに行動しなければならなくなる。それも嫌だ。

嫌な人と会話したり、食事をしなければならない、というのも嫌だ。そう考えると、お金がないから不幸だというわけではない。むしろ、行動や思考を制限されること。自由を束縛されることが不幸であると感じる。

2.マズローの欲求5段階説と幸せ

マズローの欲求5段階説の順に欲求が満たされれば幸せになれるのだろうか。最初に必要なのは「生理的欲求」だ。具体的には、呼吸、食事、水、排泄、睡眠、性、恒常性維持など。これは、健康が維持できていれば、問題ない。2番目が、「安全欲求」。身の安全、雇用の安定、健康、財産、資源確保など。これは、生活の維持ができれば問題なさそうだ。

3番目が「社会的欲求」。友情、愛情、家族、社会。社会に所属していることが実感できること。家族をつくり、どこかに所属するという満足感を得たいというのだが、これはシングル社会の現在ではどうなのだろう。配偶者や子供を強く望む人にとっては、それが幸せの条件になるかもしれないが、それが満たされたからといって、幸せになれるというものでもない。

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