お金があるから働かないという「地獄」
つまり、彼ら資産家にとって仕事をするということは、自己表現手段であり、自己実現手段。お金は単なる結果であり、目的ではない。そのプロセス自体を楽しんでいるのです。
ただし例外もあり、ネット起業家や個人投資家の中には、稼いだ後は引きこもりで廃人同然の生活をしている人も散見されます。
この、若くして「お金はあるけど何もすることがない」という状態が、本当に幸せなのかどうか、それは個々人の性格によって分かれるところかもしれません。
私自身は、そういう生活は退屈で我慢できないと思います。
たとえば朝7時に起きて、夜11時に寝るまで、食事や入浴などの時間を除き、活動時間はおよそ13時間。それを何をして過ごすか。旅行?アウトドア?読書?ゲーム?ゴルフ?サーフィン?プロを目指すのでもない限り、そんなのずっとやっていられないでしょう。
【関連】藤井聡太を脅迫した50代無職の病理とは?「絶対的孤独」の罠は誰にでも
現代日本においては、狩猟時代や戦争時代のように「生きるか死ぬか」という局面はほとんどないわけですから、人生80年とは壮大なる暇つぶしに過ぎません。その暇を何をしてつぶすかが、充実した人生になるかどうかを分かつのだと思います。
お金の有無ではなく合理性で人生を選択する
また、住む場所についても、「その場所」に住むのはお金があるとかないとかいう理由ではなく、合理的な理由があり、その意志の元に選択しています。
私の場合、夫婦ふたりのときは東京都内の賃貸マンションに住んでいました。職住近接で移動時間を短縮できるし、仕事や人との出会いのチャンスも多かったからです。
しかしネット主体の仕事に移行し、コミュニケーションツールもネットがメインになっていくと、もはや働く場所はどこでもよくなります。 そして子どもが生まれたら、都心は公園など遊ぶ場所が少なく、交通量も多くて危険。騒ぐので、近隣住民にも気を遣う。何より、待機児童が多く保育園にまったく入れない。
そこで郊外の戸建てに引っ越しました。保育園にも入ることができ、近所には公園がいくつもあって、自由に遊べる。新興住宅地ゆえに近隣は高齢者かサラリーマン世帯なので、普段は人も車も少なく安全。
【関連】なぜ「抽象化が上手い人」は富裕層になれるのか?具体の世界は貧困の巣窟
お金があるからそこに住む、お金がないからそこに住む、というのではなく、自分はなぜそこに住むのか。 私にとっては家賃が高いか安いかは判断材料としてのウエイトとしては高くなく(もちろん限度はありますが)、目的適合性が最も重要です。
負け組の思考パターンにハマるな
いずれにせよ、「お金があったら仕事なんてしないはずだ」と考えている人は、「そんなの関係なく働きたい」という人には絶対に勝てません。
なぜなら、仕事を楽しめる人は、集中力も続き、知的好奇心も維持され、さらに能力を伸ばしていけるからです。そして余計なストレスも溜まらないから心も健康。
お金があったら働きたくないという人とは、圧倒的な差が生まれるのです。
【関連】コロナ倒産・内定取消で絶望する前に。人生に幸福感をもたらす「ピーク・エンドの法則」
逆に言うと、「あの人お金があるのになんで働いてるの?」と感じるうちは、仕事を楽しめていないということですから、仕事へのかかわり方を変えるか、仕事そのものを変えるか、職場を変えるか、何らかの対応が必要かもしれません。(『午堂登紀雄のフリー・キャピタリスト入門』より一部抜粋)
image by : shutterstock