努力することで、スキルはブラッシュアップされますし欠点を克服することもできるようにもなるでしょう。ですが、苦労したってスキルはブラッシュアップされないし欠点は克服されません。両者は別モノです。その点で、
- 努力は必要ですが、苦労は不必要
だと思うんですよ。
この混同は、特に家事においては広く遍く行き渡ってしまっていると思います。
- 家電導入に反対する
- 寝不足なのに家事のために早起きする
- 愛情が込められるのは手作りだけ
こういうの、ありませんか。まあ、努力と苦労を混同しているという理由からではなくて不理解という理由も多いと思いますけど。
この、苦労を美徳とする(と見做したがる)理由はナンなんでしょうか。もうね、これは言っちゃあいけないのかもしれないけど、私の個人的な偏見と独断なのかもしれないけど、言っちゃいましょう。
それは
- 他人がラクをするのが許せない
ってことじゃないかと思います。許せないとまではいかなくても、面白くないっていうか。なんだよ、ちゃんとしてないじゃないかみたいな。真面目にやってないじゃないかみたいな。
そして、この気持ちのさらに奥底にあるのは
- 自分が苦労しているのに
という思いでしょう。自分が苦しい思いに耐えているのに他の人がラクしていると
- ソンしてる!
と感じるんでしょう。イワユルヒトツの
- 嫉妬
ってヤツですね。妬ましいんですよ、ラクしている人が。自分は苦しかったから。苦しいから。苦しんで欲しいんですよ。自分と同じように。他の人も苦しんでいるなら、自分だけじゃないと思ってなんとか耐えられるから。
ひょっとするともう、苦しんだ場所が違っているかもしれません。その人が苦労したのは職場かもしれないし、結婚生活かもしれません。きっとそんなところも、もう混同…混乱しているでしょう。なんだかなあ……炭治郎なら「哀しい匂いがする」と言うでしょうか。
私の勝手な考えではありますが、こう考えると主観的な「苦しさ」を要求することの辻褄が合うんですよね。
…うん、でね。こういう哀しさに同情は感じるけれど
- 付き合う必要はない
んですから。苦しさなんか無い方がいいです。ラクして同じ成果が出るなら万々歳じゃないですか。ガンガンどんどんラクしましょう。
忙しかったり疲れていたり、あるいはそのお店のものが美味しいならポテサラなんて山盛り買って下さい。家族もあなたもハッピーです。
ポテサラも料理も家事も、苦労する必要なんてない。嫉妬深い人にはそっと同情して、鼻歌まじりにラクしてくださいね。
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