女性の多様な生き方を否定する「普通」という呪縛
「普通」という基準は、常に文化的な背景のもと、既存の社会秩序を正当化し、また強化するために使われる。情報ネットワークは実社会の延長として、文化的価値観を再生産する。
すなわち、偏った女性像を標榜する「女性向け」サイトが増えれば増えるほど、サイバースペースは理想郷から遠ざかり、ステレオタイプ化されたジェンダー概念がうごめく場となるのである。
ちなみに、ネット上に「女性向け」サイトはゴロゴロあるが、「男性向け」と称するサイトはほとんど見当たらない。たまにあると思えばアダルト系だったり。
一般のサイトがわざわざ「男性向け」とは銘打たれないのに、女性相手のサイトだけが「女性向け」と呼ばれるのはなぜか。
男性は「標準」だからだ。標準のものに呼称を与える必要はない。
強盗事件のニュースで、犯人が外国人の場合は「外国人による……」と報じるが、日本人であればいちいち「日本人による……」とは報じませんね。日本では日本人が「標準」であるためだ。
女性は、サイバースペースでも「異質」扱いなのである。このような現状だからこそ、サイバーフェミニズムの存在意義があるのだとも言える。
サイバーフェミニズムを誤解する若い女性たち
ところで、サイバーフェミニズムはまだ新しい概念であるため、あり方については誤解も招いている。しかも若い女性たちからの誤解だ。
それは、旧式のフェミニズムへの拒絶反応に基づく、フェミニズムそのものへの困惑である。
旧式フェミニズムとは1970年代に広まったもので、反性差別を大声で掲げ、「女性は解放されねばならない」という「ねばならない」調で逆に女性を締め付ける、過激なイメージが持たれてきた。
あなたもフェミニズムと聞くと「なんだかコワい」と思わないだろうか。この旧式のイメージが根強いからだ。