【第10回】死後の世界って言うけど、全然違う人間として死ぬんじゃないかな。春日武彦✕穂村弘対談

 

「完璧さ」と、死への不安

穂村 現実の風景の中に「あの世」を見るといえば、以前「気が付いたら、今週は1回も信号に引っかかってない」みたいな歌を見たことがあってさ。これ、「ラッキー!」って感じるよりも、むしろ不穏な感じがするよね。たまたま信号に引っ掛からずに行けることはあっても、ずっと赤信号を見ないでいるなんてことは不可能でしょ? 

「こんな都合がいいことはあり得ない……実はもう死んでるんじゃ?」的な想像が働いてしまう。天国には青信号しかない、みたいなイメージというか。それこそさっきのディックの小説じゃないけど、自分が死んでいることに気付いてないだけだったりしてね。

春日 アメリカの作家ジャック・フィニイ(1911〜95年)の「死人のポケットの中には」(早川書房『レベル3』収録)という短編小説に、まさにそれと同じような描写があったよ。ホテルで窓の外に大事な紙片を落としちゃうんだけど、それが外壁の出っ張りに引っかかるんだよね。拾いに行こうとその出っ張りを蟹みたいに伝い歩いて行くんだけど、あまりに高い場所なんで目がくらんで固まっちゃうの。

で、その時に下を見たら、信号が全部、一斉にグリーンに変わるわけ。ずらりと一直線に。読者は、そのシーンで主人公の「のっぴきならない」状況をありありと感じるような作りになってるのね。

穂村 汗がべたべたしてちょっと不快だなとか、蚊に食われて痒いとか、口内炎が痛いとか、人って完璧な状態にあることってほぼないじゃない? 不完全であることに、逆に正常さを感じるというか。

だから、あまりにもそうしたノイズがないと、むしろ「死んだんじゃないか?」みたいな不安を感じるわけだよね。こういう感覚が共有されていることを、フィクションを通して知るのは面白いね。天国ののっぺりとしたイメージって、そういう、すべてが完璧であることへの不安、みたいな感覚と繋がっているのかもしれない。

春日 小説とか映画はたくさんあるけど、死後を詠んだ短歌とかもあるの?

穂村 「天国」みたいな語彙が出てくる歌はけっこうあるよ。ただ、日本人が天国という言葉を使うと、やっぱりちょっとファンタジーっぽくなるんだよね。「死後」という言葉が出てくる歌の方が、リアルなものが多い印象かな。例えば、僕の所属している短歌同人「かばん」のメンバーだった杉崎恒夫さん(1919〜2009年)の〈葱の葉に葱色の雨ふっていて死後とはなにも見えなくなること〉とかさ。

春日 いい歌だね。短歌をそんなに読まない俺でも良さが分かる。

穂村 うん。たぶん、「葱の葉に葱色の雨ふっていて」が効いてるんだと思うんだ。死んだら身体がなくなるから、目も見えなくなることは知ってるんだけど、その現実をあらためて突きつけられている感じがした。実際、僕は目が年々悪くなっていて、「死に近づく=目が見えなくなっていく」という実感が強いし、何なら死よりも先に目が見えなくなる怖さも薄々感じているしね。

春日 加齢と共に失われていく感覚みたいなのが描かれているのがリアルだね。

穂村 でも、この「葱色」というのはどういう色なんだろう?

春日 何となく、薄い緑って感じがするよね。白とグラデーションになっているような。

穂村 そういう風に、微妙な色合いっていうのも、現世と死後のあわいを感じさせるのかも。この系譜なら、内山晶太の〈わが死後の空の青さを思いつつ誰かの死後の空しかしらず〉(六花書林『窓、その他』収録)とかも。今日のこの空も、昨日までの無数の死者にとっては死後の空で、でも、自分がその仲間に入った時には、もうその日の空を見ることはできないんだなあ、という歌だよね。これもまた、「死後とはなにも見えなくなること」だね。

死と煩悩

穂村 それから、ちょっと強烈な形で天国を詠んだ歌もあって。葛原妙子(1907〜85年)の〈ゴキブリは天にもをりと思へる夜 神よつめたき手を貸したまへ〉(短歌新聞社文庫『朱霊』収録)。人間主体で考えると、天国にはお花畑と美味しいものでいっぱいみたいなイメージがある。でもリアルに考えると、人間にとっての害獣や害虫だって同じ生き物だから天に召されるわけで、それを排除して考えることは都合が良すぎるよね。

この歌の世界では、たぶん天国には殺虫剤とかは存在しなくて、人間と同じようにゴキブリなんかも同居する場所としてイメージされている。でも、「つめたき手」っていうのがミソで、全能の神に祈りを捧げつつも、ギリギリのところで「人間であることの誇り」を感じさせる。

春日 でも、ゴキブリを出してくるところが、ある意味あざとくない? しかもカタカナでさ。浮いてしまうようなことを敢えてやっている印象を受けるけど、これはアリなの?

穂村 うん、ただ、葛原は明治生まれだから、現在の歌人たちが当然のように持っているメタ的な感覚とはちょっと違うんだよね。今我々がこのテーマで作ろうとしたら、もうちょっと直接的ではない形をとるかもしれないね。

林和清の〈死後の世にもビニールありて季(とき)来れば寒風に青くはためいてゐる〉(砂子屋書房『匿名の森収録)なんて歌も思い浮かぶな。何となく天国には天然素材しかなさそうなイメージがあるけど、ここではビニールという人工物が存在していることで奇妙な感じが生まれている。これはある種のアイロニーだと思うんだけど、ゴキブリやビニールはかなり現世と近い存在だよね。

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