春日 どちらかと言えば、「俗」側のイメージだね。
穂村 うん、天国に行きさえすればすべてOKとはいかないイメージがあって、地獄とは別の天国の怖さってあるのかもね。
春日 天国に行ってもなお、現世のカルマから逃れられない、みたいな。
穂村 あと、斎藤茂吉(1882〜1953年)の歌に〈彼(か)の岸に到(いた)りしのちはまどかにて男女(をとこをみな)のけじめも無けむ〉(短歌新聞社文庫『暁紅』収録)っていうのがあって、文語体でちょっと読み取りにくいんだけど、「けじめ」は区別って意味で、つまり、死んだ後は性別が無くなるって内容なのね。これを書いた当時、茂吉は弟子の若い歌人と不倫をしてて、世間的に叩かれていたの。だから、死んで性別のない世界に行ったら色恋ごともなくなって心穏やかにいられるのに、って詠ったわけね。
で、これの本歌取りに当たると思っているのが、佐藤弓生の〈男でも女でもないまるめろのかがやく園と思えり死後を〉『薄い街』でさ。ここでも「男でも女でもない」と、性のない死後が一種の楽園のようなイメージで詠われている。こちらはいわばフェミニズム的視点で書かれた歌だよね。多くの人にとって、現世では性別や性差が苦しみの根源だったりする。彼女のペンネームが一見すると男性なのか女性なのか分からない形をとっているのも、その感覚や問題意識の表れなんだと思う。
あと茂吉には、〈たまきはる命をはりし後世(のちのよ)に砂に生れて我はいるべし〉(短歌新聞社文庫『ともしび』収録)という死後を詠った作品があるけど、死んだら何もなくなるとか、来世なんかない的なことはよく言われるけど、「え、砂なの?!」みたいな面白さがあったな。
春日 性差がなくなるのも、砂になるのも、どちらも生々しさが抜けていく感じがあるね。しかし、みんな淡白な死後をイメージしてるんだな。天国で好きな相手とヤリまくるみたいな発想にはならないんだね(笑)。
穂村 それは竜宮城だねぇ。
春日 人は死んだら煩悩が全部消える系の発想とは真逆だよね。むしろ、天国で生前のエゲツない妄想を全部実現させてやるぞ! みたいなさ(笑)。
穂村 そういうことを言ってると、天国に行くか/地獄に墜ちるかのジャッジをされる時、鬼に心の中を読まれて「けしからん!」って地獄行きにされるんじゃないの?
春日 いやいや、分からないよ。死んでもなお、そんな煩悩の塊みたいなこと考えているのか! お前は正直だな、って天国に行かされることを俺は期待しているけど。
穂村 そんなのアリなの!?
春日 「いやー、俺も薄々そう思ってたんだよ」って、鬼に肩叩かれたりしてさ(笑)。
穂村 正直に言うと金の斧がもらえます的な。そううまくいくかなあ……(苦笑)。
(第11回に続く)
春日武彦✕穂村弘対談
第1回:俺たちはどう死ぬのか?春日武彦✕穂村弘が語る「ニンゲンの晩年」論
第2回:「あ、俺死ぬかも」と思った経験ある? 春日武彦✕穂村弘対談
第3回:こんな死に方はいやだ…有名人の意外な「最期」春日武彦✕穂村弘対談
第4回:死ぬくらいなら逃げてもいい。春日武彦✕穂村弘が語る「逃げ癖」への疑念
第5回:俺たちは死を前に後悔するか?春日武彦✕穂村弘「お試しがあればいいのに」
第6回:世界の偉人たちが残した「人生最後の名セリフ」春日武彦✕穂村弘対談
第7回:老害かよ。成功者が「晩節を汚す」心理的カラクリ 春日武彦✕穂村弘対談
第8回:年齢を重ねると好みが変わる? 加齢に伴う「ココロの変化」春日武彦✕穂村弘対談
第9回:俺の人生ってなんだったんだ…偉人たちも悩む「自己嫌悪な半生」 春日武彦✕穂村弘対談
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春日武彦(かすが・たけひこ)
1951年生。産婦人科医を経て精神科医に。
穂村弘(ほむら・ひろし)
1962年北海道生まれ。歌人。90年、『シンジケート』
ニコ・ニコルソン
宮城県出身。マンガ家。2008年『上京さん』(ソニー・