仕事がしんどい?それは自分の人生が「それだけ」になってるサイン

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コロナ禍によりリモートワークが推進され、職場に通って仕事をするのが当たり前ではなくなった人が多くいます。住む場所を変えるなど、変化に応じた具体的な行動を起こしていなくても「仕事のあり方」を改めて考えている人も多くいるのではないでしょうか。メルマガ『j-fashion journal』の著者で、ファッションビジネスコンサルタントの坂口昌章さんも、日本人のこれまでの働き方を振り返り生き方について考察。これからの時代は、学校も職場も教えてくれない個人として生きていく方法をいかに学ぶかが重要なテーマになると見ています。

人生は勉強と仕事だけでいいのか?

1.勉強、仕事の競争

日本人は教育を受ける義務がある。明治の教育では、徳育、知育、体育の三育とされた。多分、人生においては、この三つの要素が必要であり、それを学ぶべきと考えたのだろう。還暦を過ぎる年齢になると、この考えは正しいと思う。勉強だけできても、体力がなければ成功できないし、人徳がなくても成功できない。

現在は知育が主であり、誰もが親や先生に「勉強しなさい」と言われた経験があるだろう。従って、「勉強することは良いことである」と信じ込むようになる。体育は得意な人がプロのアスリートを目指すために行えば良いと考えている人が多いだろう。また、徳育については忘れられているようだ。

学校を卒業して社会人になると、今度は「仕事をしなさい」と言われる。もちろん、仕事をすることも良いことだと考える。それなら、人生は勉強と仕事さえしていれば良いのか。学校の勉強は受験につながっている。良い学校に進めば、良い会社に就職できる。良い会社に就職すれば、良い待遇が受けられ、生活が安定する。

生活の安定にはお金が必要であり、仕事はお金を得るための手段である。生活が安定することがゴールかと言われると、そうではない。安定するだけではなく、更なる昇進や出世を目指す。そこに競争がある。

学校の勉強も会社の仕事も競争である。生活が安定しても、競争からは降りられない。競争に参加し、勝ち続けることが求められ、負け犬になることは屈辱なのだ。競争に負ければ精神的に追い詰められ、ストレスから病気になる人も出てくる。

2.日本と欧米の競争の違い

勉強も仕事も競争だと言ったが、競争の度合いが日本と欧米では異なる。日本は農耕民族特有の集団意識が強く、徹底した個人競争よりチームワークを優先する。個人の実力よりも、集団や組織の中の政治力が評価されるのだ。

学校の運動会でも、順位をつけることを嫌う傾向が強いし、社会に出てもあからさまな順位付けやランキングは発表されない。競争に勝っても、その序列は年功序列を超えるものではない。従って、会社の中で若い時だけ懸命に稼ごうとしても、稼げないし、早めにリタイヤするという制度もない。

欧米の競争は単純なゲームだ。競争に勝つのは面白いし、熱中できる。しかし、日本のゲームはルールが複雑で陰湿だ。高度な政治力を競い合うような精神的な駆け引きや、裏工作も存在するゲームである。

競争に勝ち抜けるのは、ほんの一部の人間である。残りの多くは敗者となる。それても、競争を強いられるのは、競争によって業績が上がると信じられているからだ。競争は個人の幸せのために存在するのではなく、会社組織や国家組織のために存在する。もちろん、勝ち抜いた個人は幸せになれるかもしれない。少なくとも、競争している間はそう信じているだろう。

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