「小室圭問題」よりも遥かに深刻。いま皇室制度が抱える真の危機

 

では、現時点で問題を直視する、つまり皇統維持の問題から逆算して皇女なのか、女性宮家なのか、あるいは皇嗣の君に順位1位を返上していただいて、改めて女性皇太子の立太子をするかどうか、そこまで考えて、内閣の1つや2つ潰す覚悟で皇室典範改正へ向けて国民的大論議をやる、その際にはトランプ再集計と同じように、何とか暴力沙汰だけは避けて…という話にすれば良いのでしょうか?

この問題ですが、どうも私には「ソコじゃない」という感じがしてなりません。

どういうことかというと、問題の本質は皇統維持ではなく、皇室のデイリー・ルーチンすなわち公務という点にあると考えられるからです。

皇室の公務とは何でしょうか?それは絶対的な儀式性ということです。

一言で言えば、イベントや手続きのスタイルが、無形文化財レベルに再現できるということです。じゃあ、徹底的にスピーチを練習し、マナー講師の親玉みたいな人を引っ張ってきて訓練すればいいのかというと、これが結構厄介なのです。

この無形文化財的な皇室の立ち居振る舞いのことを、仮に「ロイヤル・プロトコル(RP)」と呼ぶことにしましょう。このRPとはなにか、それは絶対的な中立性です。

戦没者の慰霊祭にしても、あるいは災害被害への慰問にしても、福祉施設の視察にしても、本当のことを言えば政治的中立などということはあり得ないのです。ですが、それでもそのイベントの中で、例えばスピーチの読み方や、所作の中に「濁った何か」があると、どうしても政治的な匂いがしてしまいます。

例えば、福祉施設への視察をしたとして、「弱者救済のために、もう少し何とかならないものか」的な表情ないし、ニュアンスが少しでも出てしまうと「時の政府は福祉の予算をケチっている」とか「だから現在の内閣はダメだ」といった政治的な濁りが出てしまいます。それをやっても良いという考え方もあるかもしれませんが、厳密に言えばそれをやってはオシマイなのです。そうするとRPのオーラは消え失せて、そこにあるのはタダの人、その儀式はタダの形式になってしまいます。

いやいや、どうせ宮内庁が書いて内閣府がチェックしている内容なら、毒にも薬にもならない中身でしょ、とか、内閣府が「助言と承認」しているのなら、結局は現体制の肯定ということで、濁っているのには変わりはないでしょ、などという声が聞こえてきそうです。

ですが、そこはサスガに宮内庁さんですから、どういうわけか「現体制を批判しない、肯定する、でも政治的な濁りは最低限」という不思議な原稿を用意できてしまうのです。一説によれば先代も含めて、陛下自身にそのノウハウがあるという説もありますが、それはまあ現代の皇室は機関説の究極をやっているのですから、どっちでも同じです。

その原稿の上に、とにかくそこはやはり百戦錬磨の無形文化財である陛下ですから、他の誰にもマネのできない高度な口跡で、スピーチをやってしまうわけです。総理大臣以下の俗人であれば、同じ原稿でも賛成とか反対とか、あるいは自信のなさとか過剰な自己顕示とか、とにかく俗っぽい濁りを生じさせてしまうところを、とにかく一切のブレなく透明にやってしまう、これは大変なスキルであるわけです。

強いて言えば、政治的に両論があるならそれをしっかり聞き、その上で現代の日本の「国のかたち」の真ん中の狭いゾーンを確認し、そこに生身の自分の濁った意見を照らし合わせた上で、深くそのゾーン内に自分で一歩踏み込んで、その中心を探り当て、そこから微動だにしないでスタイルを積み重ねる…そんな感じでしょうか。今上も、先代もそうやってスキルを磨いてきたのだと思います。

皇后さまの場合は成人してからの、しかも試行錯誤もあるやに聞いていますが、同じように「ゾーンの中心」を探り当てる生き方へと進まれているわけです。代替わりの前は、宮中祭祀に関してまだそのゾーンの中へ入れないでいるという「説」もあったわけですが、結果的にそれは杞憂でありました。

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