この問題ですが当面の考え方としては2つあると思います。1つはとにかく伝統文化の継承ということで、例えばですが対象となる候補には一人一人意思確認をした上で、10人なら10人の候補に徹底したRP教育を施しておくということです。
もう時間がないので、例えばですが上皇さまの直系である現在の対象者である次世代の4名については、全員徹底的なRP教育を施すべきです。これに加えて、もしも国家の深層にある意思として、伏見宮系なり江戸期に分かれた男系なりそこに明治さんの子孫の女系が入っているとか何でも良いのですが、本当に候補になる次世代がいるとして、それも候補にするのであれば秘密裏に入れるわけです。そのようにして、男女合わせて10名ぐらいを本気で養成しておくのです。
とにかくRPを伝承するためには一刻を争うという感覚を持っています。今回の縁談停滞騒動に関しては、当事者の人気がどうのこうのという以前の話として、そのストーリーの全体がRPの静かな崩壊ということを示していると思うということもあります。
そうは言っても、例えばですが10名の若者にRP教育をやっても、結局は伝承には失敗したということは十分にあり得ます。50年とか70年というスパンで考えると、そうしたケースは想定しなくてはなりません。
その場合は、もう世襲の宿命を背負ったロイヤルな存在というのはいなくなるのですから、政治であるとか、文化、スポーツ、経済などで社会活動を行う人間たちが、もっと意識的に客人を接遇し、社会の様々な層から好感を持たれるように「ソーシャル・プロトコル」つまり、品格ある行動様式のスキルを高めていかねばなりません。
考えてみれば、これまでの日本は、最高レベルの外交儀礼は皇室に丸投げできるので、政治家は実務の外交だけをやって、後はカラオケや飲み会とかをダラダラやっていれば良かったわけです。少なくとも全人格をかけて国を代表するなどということは、する必要もないしスキル的にはスッカラカンでも許されたわけです。ですが、RPという伝承が消えてしまうと、それは皆でやらねばなりません。
そう考えると、皇族とか皇位の継承という問題は極めて根の深い、誰もが当事者になるべき問題であるということができると思います。(メルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』より一部抜粋)
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