それぞれの章のタイトルは、「中国はユートピアか、ディストピアか」「中国IT企業はいかにデータを支配したか」「中国に出現したお行儀のいい社会」「民主化の熱はなぜ消えたのか」「現代中国における『公』と『私』」「幸福な監視国家のゆくえ」「道具的合理性が暴走するとき」うまい!うますぎる。
「デジタル監視社会」の実体に詳しい専門家ですら、中国の監視社会については正確に理解できていないらしい。多くの誤解がある。その原因は、バイアスのかかった先行情報を参照した結果、後追い情報もさらにバイアスのかかったものになる、という負の連鎖が起きているからだ。驚くのは、外からの視点と中国自身の現状に対する内からの視点とでは、評価が真逆なのだという。
この本は、現代の中国社会で起きていることを、冷戦期の社会主義国家のイメージで語るのはかなりミスリーディングだ、というスタンスをとる。「監視社会」やそれに伴う「自由の喪失」を論じるのであれば、同時に「利便性や安全性の向上」にも目を向けなければならないということだ。というわけで、かなりめんどうくさい。うさんくさい。警戒しながらじっくり読むべし。
編集長 柴田忠男
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