昔からいた「テレビに出る方が偉い」を利用した人々
昔からテレビに出るのが偉い、賢いと思われるのを利用した人間はいた。
今ほど、テレビに権威がなかった時代は、NHKに出て、朝日に取材を受け、岩波で本を出すのが「一流」の学者の証明のようになっていた。
論文を発表する場合は、とくに一流の雑誌に論文を出す場合は、プロ、あるいはその道の一流の学者の審査を受けるが、NHKであれ、朝日であれ、岩波であれ、プロでないプロデューサーや記者や編集者に認められれば、中途半端な学問レベルでも、その道の第一人者のようにコメントしたり、本を出したりできる。
業績の怪しい「専門家」が跋扈するテレビ業界
それを利用して、たとえば、私と同い年なのに私が学生時代から精神科医と名乗ってエッセイを書いていた「香山リカ」なるペンネームで実名を出さない精神科医が出てきたが、NHKに出て、朝日に取材を受け、岩波で本を出すので、どんな臨床経験をしているのかも怪しいし、留学経験もないし、論文もほとんどない(少なくとも英文の論文はないだろう)のに、副業をやり続ける私などより、今でも「一流」の扱いを受けている。
数学の世界でも似たようなことがあるらしく、NHKに重用され、朝日に寄稿し、岩波で本を出す秋山仁という数学者がいたが、私が尊敬し、日本でいちばん経済学の英文の論文が多い西村和雄先生(数学者でもある)に言わせるとほとんど論文を書いていないし、数学オリンピックで問題を全部ピーター・フランクル氏に作らせて大きな顔をしているということだった。
こういう「一流」の学者が性質が悪いのは、自分の思いつきで勝手な日本人批判をしたり、計算なんてしなくていいなどと滅茶苦茶をいう(秋山氏は一時期ゆとり教育の理論的バックボーンだった)ことだ。
数学者が計算をやらなくてもいいというと信じる教師が多かったが、西村氏など私がゆとり教育の反対運動で知り合った、ちゃんと実績のある数学者で計算がいらないという人はいなかった。IT技術者を多数輩出するインドでも子供のころはみっちり計算をやらせることで知られている。