松本人志の笑えぬ劣化ぶり。「正統派」論争の裏にテレビは偉いという時代錯誤

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コロナの危険性を訴え、視聴者に「自粛」を呼びかけながらも、年末年始は例年どおり脳天気な「お笑い番組」を放送していたテレビ各局。なぜテレビ業界はこのような矛盾を抱えているのでしょうか? メルマガ『テレビでもラジオでも言えないわたしの本音』の著者で精神科医・映画監督の和田秀樹さんは、ダウンタウンの松本人志さんがテレビで発したコメントを疑問視。さらに、今の芸能界や放送業界を取り巻く「テレビに出ている人間は偉い」とする風潮の弊害について持論を展開しています。

テレビに出ている奴が偉い社会

年末になると、これまで命がいちばん大切とほざいていたテレビが一変する。

自分たちが撮り貯めた年末年始用のくだらないお笑いや歌番組だけが流され、コロナ感染者が東京だけで1300人とかいう話になってもほとんど編成が変わることはない。

もともと大した病気じゃないことがわかっているということなのだろうが、だったら自殺者や失業者、ホームレスを増やすような自粛騒ぎをしないでほしい。もし本気で自粛が大切と思っているなら、これだけの感染者が出れば、すべて特別番組に切り替えるだろう。たとえば東日本大震災級の地震が起こればそうしていたはずだ。

彼らはコロナ禍の最中に国会を開かない自民党を批判した。ならこんな絶頂期にそれを報じる番組をやらずに撮り貯めた芸能番組を垂れ流してさぼるのはどうなのだろうか?

自粛自粛と騒ぐなら芸能番組を自粛すればどうなのか?

命が一番大事というが、芸能プロダクションとの関係のほうがよほど大事なのだろう。

「天才・松本人志」は過去のもの

情報番組をやるはずだった時間の「暇つぶし番組」をぼんやり見ていたら、松本人志が、正統派のお笑いを批判していた。

「正統派というのは、多少は芸がうまいが、イマイチいけてないお笑い芸人のことを指す言葉でしょ」みたいな発言をした。

彼のいうイケているというのは、テレビにしょっちゅう出るとか、若い奴に受けるということだろう。

しかし、高齢者の脳機能を研究する人間の立場から言わせてもらうと、プロの芸とは何かが何もわかっていない発言だ。

高齢になり前頭葉が委縮してくると(というか40代、50代からこの委縮は始まるが)、人間というものは弱い刺激では笑えなくなる。

要するに、若い頃であれば「箸が転んでもおかしい」が、歳を取ると箸が転んでも笑えなくなる。

ただ、高齢になると笑えなくなるかというとそういうことはない。

なんばグランド花月にしても、東京の寄席にしても、見る側の平均年齢はとても高く、70は軽く越えているだろう(コロナのせいでグランド花月などは若返ったようだが)。それでも客席は爆笑の嵐だ。

要するに年寄りでも本物の芸なら笑う。

では、グランド花月や寄席芸を若い人たちが笑わないかというと、きちんと笑う。子どもも笑う。

プロの芸はどんな年齢でも笑わせることができるが、素人に毛の生えたレベルのひな壇芸人の芸は、箸が転んでも笑う世代の人間しか笑わせることはできない。

要するに箸が転ぶレベルの芸だということだ。

昔は多少面白かったが、今はつられ笑いを誘うような笑わせ方しかできなくなった芸人が、プロの芸を「イケていない」と断罪する資格があるのだろうか? 悔しかったら年寄りを笑わせてみろと言いたくなる。

【関連】モーニングショー玉川徹氏の自己矛盾と「因果不明」発言にみるTVの傲慢

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