「自分探しの旅」で「本当の自分」を見つける事などできるのか?

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なかなか見つからない探しものでも「探すのをやめた時に見つかる事もよくある話」と井上陽水さんは歌い、探しものをしている人を「夢の中」という別世界へと誘いました。若さや未熟さゆえの悩みを抱え、自分探しの旅に出た人は、どんな世界にたどり着くのでしょうか。メルマガ『8人ばなし』著者の山崎勝義さんが、別れや旅立ちの季節であるいま、「自分探し」とは何か、何を探し当てるもので、どうすれば見つかるのかについて考えを綴っています。

自分を探すこと

春、三月。それは、別れや旅立ちの季節でもある。コロナがあろうとなかろうとその辺のところは変わらない。割と容赦がないものである。今回は今の時期に多少なりとも相応しいような話をしてみようかと思う。

「自分探し」
余りにありふれた表現である。使い方としては、「自分探しの旅に出る」、「今は自分探しの最中だ」といった具合である。どことなく浅薄な響きが感じられるのは若者に特有のものといった先入主があるからであろう。実際、人生に停滞している者のある種の言い訳として使われることが多いような気もしないではない。

しかし、考えようによってはおかしな話で、実のところ何を探しているのかも判然としないのだから、何処をどう探しても見つかる筈はないのである。車の鍵、病院の診察券、サングラス、何を探しているのかはっきり分かっていてもいざ探すとなれば、なかなかに見つかるものではない。ましてその「何」かが何かも分からないなら実際のところどうしようもない。

だが一方で、人生のある時期においてはこの様なある種の停滞も必要な気がするのである。世界史上に名を残す偉人たちも多かれ少なかれ、こういったピカソでいうところの「青の時代」とでも呼べるような時期を経験していたりする。

むろん偉大な人間の足跡などと較べられたら誰だって堪ったものではない。だから取り敢えずここではごくありふれた存在としての「自分」というもので考えてみることにする。
「自分探し」
言葉を補うと「自分で自分を探すこと」。さらに補って「自分で本当の自分を探すこと」。「本当の」の部分は「あるべき」とか「ありたい」に言い換えても構わない。

さて、ここで言う「本当の自分」とは一体どの様なものであろう。このことを考える時に何よりも重要なのは、ひとまず他人を一切無視してしまうことである。そもそも他の誰かが「これが本当のお前だ」などと言ってくれる筈もない。仮に言ってくれたとしてもその場限りのことで何の意味もない。だから、この際徹底的に無視することにするのである。

何一つ譲らず、自分の思うままに行動する。ひたぶるにそうする。その当然の結果としていつしか自分独りになってしまう。周囲からあきれられ、自分でも自分が嫌になる。そんな、他人に疎んじられ自分でも愛想が尽きるような「残りかす」の如きもの、それが「本当の自分」なのである。逆説的な物言いだが事実である。なぜならこの「自分」からは少なくとも死ぬまでは離れることができないからである。

その「残りかす」を見つめ、受け入れ、折り合いをつけ、心のどこかで愛すること、それこそがまさしく「自分探し」なのである。カレンダーの二月を破り捨て、それまで「二月」だったところが同じフォントの「三月」に変わるのを見ながら、ふと思ったことである。

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ここにあるエッセイが『8人ばなし』である以上、時にその内容は、右にも寄れば、左にも寄る、またその表現は、上に昇ることもあれば、下に折れることもある。そんな覚束ない足下での危うい歩みの中に、何かしらの面白味を見つけて頂けたらと思う。

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