心理分析家が検証「人はウソをつくと目をそらす」はどこまで本当か?

 

「ウソつきは目をそらす」は本当か?

「私は、ウソをつく人が実際に目をそらすのを何度も見たことがある」とおっしゃる方もいるかも知れません。本ケースの真実を整理し考えます。件の政治家は、各飲食店―イタリアンレストランと銀座のクラブ2店―に合計3人の政治家で訪れていたことが明らかになっています。また、最後の銀座のクラブを23時過ぎに退店していたことがわかっています。

つまり、「飲食店に1人で訪れたこと」はウソで、「23時過ぎに退店したこと」は真実です。「目をそらす」を根拠に真偽を判定するとき、1つのウソをウソと正しく見抜くことが出来、1つの真実をウソと誤解することになります。ウソ検知率50%の手がかりということです。

これまで、数多くの科学実験が私たちの真偽判定率の精度を検証しています。真偽確率が50%のとき、私たちが真偽を正しく判定できる確率は、おおむね54%だということがわかっています。ほぼチャンスレベルです。この数字は、一部特殊な人を除き、警察官・一般人問わず、変わらないことがわかっています(Bond and DePaulo 2006; Vrij 2008)。

そう、私たちにとってウソを正しく見抜くことは難しいのです。ウソを正確に見抜けない原因は様々ですが、その一つが正しいウソのサインを知らない、と言えると思います。今回の「目をそらす」がまさにその誤解の典型です。

58ヶ国の男女20人を対象にした調査において、「誰かのウソをどのように判定しますか」という質問に、51ヶ国の64%の調査対象者が「目をそらす」サインを挙げています(The Global Deception Team 2006)。

しかし、メタアナリシスの結果、目をそらすことがウソのサインということは認められていません(DePaulo et al. 2003; Sporer and Schwandt 2007; Vrij 2008)。つまり、「ウソつきは目をそらす」というものは、世界中の多くの人々に信じられている神話ということになります。この神話が広く行き渡っているゆえに、ウソつきは、相手から「目をそらす」のではなく、相手の「目を見つめる」という印象操作をする傾向にある、という実験結果もあるくらいです(Mann, Vrij, Leal, Granhag, Warmelink, & Forrester, 2012)。

目をそらす様々な原因

私たちは、恥ずかしさを抱いたり、頭をつかっているとき、目をそらす傾向にあることが知られています(Ekman 1985/2001; Doherty-Sneddon and Phelps 2005)。しかし、これらの行為は必ずしもウソをつく行為のみに伴うわけではありません。確かに、私たちがウソをつくとき、罪悪感を抱いたり、頭を使いますが(Ekman 1985/2001; Vrij 2008)、正直な話をしていても、ウソをついていると疑われれば罪悪感を覚え、恥ずかしい話題を正直に話せば話すほど羞恥心を抱き、真実の記憶を辿るために頭を使うでしょう。こうした行為が、目をそらす、になり得るのです。

経験的に「ウソ=目をそらす」を体験されている方は、その成功体験が成功例だけに基づいていないか、特殊な条件のみに適応できた事例ではなかったか、今一度、再考してみて下さい。

それでは、冒頭のケーススタディーの情報のみからウソを見抜くことは出来ないのでしょうか。よく巷で言われるように「政治家はウソが上手い」のでしょうか。

結論から書きますと、いわゆるウソのサインはありません。しかし、個人内比較という比較法を通じて、ウソの可能性を推測することが出来ます。個人内比較法とは、同じ状態の個人の変化を比べる方法です。ウソ推測の文脈で言えば、ウソが疑われている話題、あるいは動揺を引き起こすような重要な話題について真実を話しているときの分析対象者の言動反応を基準=ベースラインとし、他の話題時に起こる各反応がベースラインからどの程度乖離するかを観察し、乖離の程度が大きいほど、ウソの可能性が高い、と推測する方法です。

要は、必死な状態で真実を話しているときの個人特有の言動反応を発見し、そこからの差異を重視する方法です。この個人内比較法を用いることで、たとえ分析対象者がウソの演技が上手くとも、たとえウソのサインについて知識が豊富ゆえにそのサインを隠そうとしても、差異を発見することを通じて個人的なウソのクセが浮かび上がってくるのです。

print
いま読まれてます

  • 心理分析家が検証「人はウソをつくと目をそらす」はどこまで本当か?
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け