ことばも「減らす」行為が価値を生む
話をする側は、自然体、そして、心に正直に話す。そうすれば聴く側にも、す~っと、まるで自分ごとのように話が伝わる。
これ、理想のスピーチの形の一つです。
スピーチに限らず、双方向のコミュニケーションでも同じことですね。
虚飾や虚偽でもなく、カッコつけでもない。シンプルで、人の心に入っていくことができるスピーチ。
共感が湧き、驚きもあり、喜びも学びもある。どんなテーマであろうとも、選び抜かれた言葉で、無理がなく無駄がない。
発せられるすべてのことばが生きていて、話さない空白の「間」でさえも、何かを伝えている。
聴く人が、その中に入っていける空間があるスピーチ。
生きたスピーチ、とでも言いましょうか。
ちょっと抽象度が高い表現になっておりますが、これと、ダンシャリ後の心地よい空間は、同じだな、と思ったのです。
言いたいことで盛りだくさんのスピーチは、ただ流れ去るのみ
話す中身に不足があったら困る。だから、あれもこれも盛り込んで、いいたいことは全部話したい。
このお気持ち、わかります。
でも、これが「伝わらない」の要因にもなりうる。
いいたいことで溢れかえった話は、まるで、食べきれないのにお皿に山盛りにしたビュッフェのお皿のよう。料理の味がごちゃ混ぜになって美味しくいただけませんよね。
モノで溢れかえり、足の踏み場がない部屋も同じこと。安心して部屋で過ごせませんよね。
それがわかっているのに、あれもこれも料理を載せる。モノを捨てないで持っておく。
盛り沢山すぎる内容を全部話そうとすると、これと同じことが起きます。
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