失業中に結婚し居候も。作曲家・小林亜星さんの破天荒な半生と父母への思い

 

若い頃に左翼運動にかぶれたオフクロは、ご近所のおばさん連中と比べると相当変わってた。お祭りの時は、ご近所はみんな神社に寄付するものだが、「私は神とか仏は大嫌い」とか何とか言っちゃって、うちだけ寄付しなかったんだから。教条主義を嫌う左翼思想を実践していたのかね。真面目で温厚な親父はしかたなく、そんなオフクロに合わせていたんじゃないか。

小学3年の時に、学校のそばの古本屋で見つけた『不思議の国のアリス』という本が、面白くて感激して。「これちょっと見てよ、気に入っているんだ」と本をオフクロに渡したら、いきなりその本でボーンと頭を叩かれちゃってさ。「世の中に不思議なんてことはないんだ!もっと物事を科学的に考えなさい!」って。これホントの話なんだから。

あの時はほんと頭にきた。僕が今のようになったのは、あれが一つのきっかけだったのかもしれない。あの一件以来、逆に不思議ということに、すごく憧れるようになっちゃったのだから。

オフクロに「医者になれ!」と押しつけられて

戦争が終わったのは中学1年の時で、ラジオから進駐軍放送が流れはじめると、途端に僕はジャズの音楽にかぶれた。親戚のおじさんにギターを買ってもらうと、当時は珍しかったバンドを友達と組んだ。そのうちに新橋のガード下にあった『ニッカボッカ』って進駐軍のクラブに出演するようになってさ。「小林さんとこの亜星ちゃんは、外国のへんな音楽をやりだして不良になっちゃったよ」なんて、ご近所で噂になったけど、中学生のバンドがスチールギターでグレーン・ミラーとかを演奏しちゃうんだから、客には大ウケだった。

あんまりウケ過ぎて、店の前に写真が出たのがまずかった。店の前を通りかかった学校の先生が僕らのステージの写真を目にしてクラブで演奏していることがバレちゃってさ、1か月間停学処分になっちゃった。「お前“友達の家で勉強してる”なんて、ウソばっかりついて!」めったに怒らない親父がこの時は怒って。ギターを壊されて風呂のたきつけにされちゃってさ。こう振り返ると、理解のなかった親に、言いたいことは山ほどあるんだよ。

「世の中に貢献するのは、芸術家か科学者だ」なんて、左翼のオフクロがまたヘンなことを言い出して。「おまえは医者になれ!」って押しつけられてさ。郵政省勤めの官吏で金もないくせに、僕は中学から慶応に行かされていた。

高校に進学してコーラス部に入るとクラシック音楽が面白くなって。クラッシックを演奏してみたかったが、ピアノなんで買ってもらえるわけがない。そこで画用紙にピアノの鍵盤を書いて、譜面を見ながら部屋で夜、練習をした。画用紙の鍵盤に爪を立てるから、チカチカって音がする。するとオフクロが部屋に来て、「勉強してると思ったら、またそんなことばかりやって!」両親とも僕が音楽をやることに、まったく理解がなかったんだよ。ホント、悩み多き暗い青春時代でした。

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