自民党政権の醜い本質が見えた「黒い雨訴訟」上告断念の首相談話

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広島への原爆投下による「黒い雨」を巡る裁判で、原告全員を被爆者と認める広島高裁の判決への上告断念を表明した菅首相。しかしその談話は、傲慢とも取れる文言が含まれたものでした。なぜ政府はこのような首相談話を閣議決定したのでしょうか。今回の『きっこのメルマガ』では人気ブロガーのきっこさんが、当談話の全文を紹介するとともに、往生際が悪いと言わざるを得ない内容となった事情を解説。さらに広島高裁の判決の「歴史的意義」についても言及しています。

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黒い雨訴訟と国の戦争責任

この第129号の配信日は8月4日(水)なので、明後日の8月6日は「広島原爆の日」、5日後の8月9日は「長崎原爆の日」です。そこで今回は、7月29日に高裁判決が確定したばかりの「黒い雨訴訟」について取り上げようと思います。

あたしの母さんのお父さん、ようするにあたしのおじいちゃんは、太平洋戦争末期、国に召集されて、兵士として南の島に連れて行かれ、銃弾も食料も医療品も補給されない「国から見捨てられた状況」の中で「餓死」しました。当時、おばあちゃんはおじいちゃんと結婚したばかりで、おばあちゃんのお腹の中には母さんがいました。おばあちゃんは1人で母さんを産みましたが、その直後、東京大空襲が起こり、おばあちゃんは母さんを抱いて猛火の中を逃げ惑い、奇跡的に一命を取り留めました。

おばあちゃんは家も家財道具もすべてを失いましたが、夫が「戦死」したということで、戦後、おばあちゃんにはわずかな「遺族年金」が支給されることになりました。しかし、それだけではとても生活などできないので、おばあちゃんは和裁の技術を生かして必死に働き、女手ひとつで母さんを育てました。そのため、あたしの母さんは自分のお父さんに抱かれたことが一度もなく、お父さんの顔もたった1枚しかないモノクロ写真でしか知らないのです。

あたしのおじいちゃんは、多くの仲間とともに、南の島で「餓死」しました。敵に殺されたのではなく、日本政府に殺されたのです。しかし、戦争責任を認めたくない日本政府は、自分たちが見殺しにした数えきれないほどの兵士を「御国のために立派に散った英霊」などと祀り上げ、雀の涙ほどの「遺族年金」を支給することで、ひとことの謝罪もせずにチャラにしたのです。そのため、あたしのおばあちゃんは亡くなるまで、毎年8月15日を迎えるたびに「あの人は御国に殺された…」と言って涙を流していました。

それでも、おじいちゃんが「戦死」と認定されて、わずかな「遺族年金」が支給された我が家は、まだマシでした。国が始めた戦争で多くの国民が犠牲になったのに、日本政府は未だに犠牲者や遺族にひとことも謝罪せず、賠償や補償を拒否し続けているからです。日本政府が一定の補償的支援を行なっているのは、あくまでも徴兵された兵士に対する事例のみなので、東京や大阪を始めとした全国各地の空襲の犠牲者も、広島と長崎の原爆の犠牲者も、民間人の犠牲者や遺族はすべて「泣き寝入り状態」のままなのです。

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