父が原因。あの松方弘樹がオレンジジュースに手を出せなかったウラ事情

 

僕に何をいうでもなく、オフクロは鼻で笑っていた

おばあちゃん子だったことが影響したのか。僕は小学校の時、今でいう登校拒否のようなこともあったし、家にお客さんが来ても積極的に出ていって、挨拶をするような子供ではなかったから。オフクロとしては親父が役者なんだし、一度俳優をやることで世間慣れし、内気な面を改善する足がかりになればという思いも、あったんだろう。

一本映画に出ると次々に仕事が来た。東映の大泉撮影所で仕事をしていた17歳の当時、大学出の初任給が1万円ぐらいだった時に給料が3万円、映画一本出れば10万円もらえた。石神井に家賃が7,800円のアパートを借りて。

自分でやっていけると思った時、

「もう親父と別れろ、俺が面倒を見てやる」

オフクロにそう言ったことがある。親父は外の女を作り家に帰ってこない。僕はそんなオフクロがずっとかわいそうだと思っていんだ。すると、何をいうでもなく、オフクロは僕を見て鼻で笑っていた。

出過ぎたことをしたなぁ……

そんな思いと共に当時のことが蘇る。夫婦でしかわからないことがあると気付くのは、もっと年を取ってからだったが。

「お前なんか、まだ役者じゃない、クシャクシャだ、明日はもうないと思え!」

死ぬまでそう言っていた親父は、昔の役者さんの多くがそうだったように、撮影所では威圧感と威厳に満ちていた。親子であっても撮影所で私語を交わすなど、とんでもないという雰囲気だった。でも、親父は内心、我が子が可愛かったんだろう。いい役を僕にくれた。柳生十兵衛シリーズにはずいぶん出させてもらった。

役者として親父のどこがすごいかといえば、チャンバラシーンの立ち回りだった。僕よりも長い刀を使っているのに、立ち回りが速くてついていけない。チャンバラのシーンでは、親父の偉大さをしみじみと感じたが、一方で親父はラブシーンがヘタだった。お茶屋遊びとラブシーンは別だ。親父は決して器用な役者ではなかった。オフクロもその辺は分かっていて、「お父ちゃんはお芝居がへタよ、立ち回りだけよね」って、言っていたいたっけ。

オフクロの若い時の映画を観たのは、俳優になってからだが、オフクロは小股の切れ上がった妖艶な役をこなしていた。親父が戦争にいっている間は、座長として一座を切り盛りしていたわけだし。

お父ちゃんより私の方が芝居は上手い!!

多分オフクロにはそんな自負があったんじゃないか。

京都は狭い街だ。親父が酔っ払って女性とどうしたとか、僕の耳にも入ってくる。

「みっともないよ、親父によくいっておいてくれよ」

大人になってから僕は、何回かオフクロにそう言ったが、

「でもね、あれはあの人の生き様なんだから。あんたがお父ちゃんのようにならなければいいじゃないか」

と。オフクロは生涯、僕の前で親父を悪くはいわなかった。

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