「人のものを羨ましがってはいけないよ」って
夢をかなえてくれるママでした。友達の一人にお金持ちの子がいて。あるときその子の家に遊びに行くと、自分の部屋がある。勉強机もある。
私の家は六畳一間で、何をするにもちゃぶ台でした。幼い頃から感激屋だった私は、「うわ!」と、友だちの部屋を目にして思わず声を上げました。
「ママ、すごいんだよー」
家に帰って興奮して話をした覚えがあります。
「私も自分の部屋がほしい、でもムリだよね……」
そんなことを言ったら、
「鞠子、明日、楽しみにしておいで」って。
「本当だね、ママ」
翌日、私は学校から急いで家に帰りました。すると、
「はい、どうぞ」
ママが指差す方を見ると、押し入れの横の柱に、『鞠子の部屋』と可愛いリボンの付いた紙が貼ってある。
押し入れを開けると、布団を隅によけて作った半畳ほどのスペースに、家の小さなちゃぶ台を入れて。ちゃぶ台にはママの花柄のスカーフをかぶせてあって、電気スタンドが置かれていました。
嬉しかった。おやつを食べるのも宿題をやるのも、『鞠子の部屋』の中でした。用事があるときには、押し入れのふすまをママがノックしてくれる。
すごい、ママは何でも考えてくれる!
そう思っていた私でしたが、確かその年の暮れでした。クリスマスの時期にその子の家に行くと、応接間に見上げるようなクリスマスツリーが飾ってあった。
「すっげー……」
家に帰った私は、
「ママ、ママ!実はね」
と、アメリカの映画に出てくるようなクリスマスツリーの話をして。
「羨ましいなぁ、私もほしいなぁ」
そうママにねだりました。
「分かった、じゃ明日ね」
ママはそう約束してくれたから、負けないぐらいのツリーを作ってくれるはずだと、私はその日も学校から急いで戻った。
「ほら鞠子、ツリーだよ」
「え、どれ……?」
部屋の中を見ると、和ダンスの引き出しを段々になるように順番に開き、それに包装紙や折り紙を切ったものが貼り付けてある。
「違うよ、ママ!」
私が欲しかったのは、キラキラのモールや、チカチカ電飾がいっぱい光っているクリスマスツリーだったから。
「ママ、これじゃない!」
このときでした。
「我がままを言うんじゃない!」
ママに初めてお尻をパシーンと叩かれたのは。
「ママなんか大嫌いだ!」
私は家を飛び出し隅田川の土手で泣いていると、夕方、ママが私の横に座って。その時、諭された言葉は今も忘れません。
「人のものを羨ましがってはいけないよ」
って。
「ママのツリーがダメなら大きくなってから、自分で買えるように頑張りな」って。
ママの声は優しかった。
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