トランペットが吹けなくなってからのパパは…
パパはあまり家にいませんでした。パパが帰ると分かっている日は酒屋さんにビンを持って、量り売りの合成酒を買いに行くのが私の役目でした。お酒の好きなパパでした。
六畳一間の家でお酒を飲む時は、近所の人とか誰かしら家に来ていた。そんなとき、私は風呂敷をかっぱ代わりに首に巻き、物差しを刀代わりにして、おばあちゃんと一緒に行った芝居小屋の旅回りの芸人さんの真似をして。私のそんな姿に顔を赤くした大人たちは手を叩き、おひねりが飛んできたりしました。
友達の付き添いでオーディションに行ったことがきっかけとなり、芸能界入りが決まったのは中学3年の時。早く働きたかった私は、芸能界に就職をするような気持ちでいましたけど、パパは私の芸能界入りに大反対でした。
「でも、パパだってトランペットが好きで、16歳から仕事をしてるって、おばあちゃんに聞いたよ」
だからパパは、華やかな芸事の世界の裏側の辛さ厳しさを知っている、とても娘には勧められないと思ったのでしょう。
「鞠子ね、名前が売れても、掃除のおばさんやおじさんに、きちんと挨拶できる人間でいろよ、それが守れるか」
最終的にパパが芸能界に入りを許してくれた時、そう含むように言われたことは忘れられません。そんな素敵なことが言えるパパだったのに。
パパが体を壊しのは、お酒が原因でした。トランペットを演奏することができなくなったのは、私が芸能界に入って2年ほどたった頃でした。当時パパはまだ、30歳代の半ばという若さでした。
それからのパパは──
トランペットを吹かなくたって、どんな仕事でもいいから、父親として働いて欲しいと私は何度もいったんですけど……。
パパは仕事に就いても3か月と持たない。その原因はいつもお酒でした。好きな仕事じゃない、仕事が嫌だから余計お酒を飲む。酔っぱらうと滅茶苦茶になってしまう。
トランペットが吹けなくなってからのパパは、いつしかお酒を飲むと人格が変わってしまうようになって。性格的には弱かったんでしょう。お酒でますます体を悪くして、入退院を繰り返しても、飲まずにいられなくて。
「お父さん、飲んでいるんですけど、お金がないんですよ」
お店の人からそんな連絡が入って。
「申し訳ありません」と、パパを迎えに行ったり。酔っ払うと道路でも寝ちゃうから、警察に保護されたパパを引き取りに行ったり。そんなことの繰り返しが20年以上。
24歳で好きな人ができて、
「結婚したい」
といった時は、
「バカヤロー、誰が家の面倒を見るんだ!」
って怒鳴られた。酒乱のようなパパが嫌いで、恨んだこともありました。正直いってものすごく恨んだ。
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