昭和の「視聴率100%男」欽ちゃんこと萩本欽一の不思議な“家族関係”

 

何か言葉が心地いいオフクロだった

「欽一、ごめんね」

思い返すと、オフクロからよく聞いた、そんな言葉が残っている。

「修学旅行は俺、乗り物酔いするから行かないよ」
「お前はいい子だね、ごめんね」

新聞配達も冬の寒い日、朝早く起きて僕を起こしてくれて、配達から帰ると、オフクロは両手で僕の手を温めてくれて。

「本当だったらストーブがあればいいのに、ごめんね…」

って。

何か言葉が心地いいオフクロだった。言葉まで貧乏になってしまったら、本当に悲しかっただろうと今、そう思うね。

親父は借金をこさえて逃げちゃったが、親父の家にもよく遊びに行った。親父は僕らが「おばさん」と呼んでいた人と暮らしていて。要するにおばさんは親父の愛人なんだけど、どういうわけか、おばさんとは家族ぐるみの付き合いで。夏休みはおばさんと一緒に、上野動物園とかに遊びに行ったりしたもの。おばさんとは僕も仲良くしていたし、親父が他界した後も、親父の法事にはオフクロとおばさんが並んで座って。

「元気でやっていますか」

なんて、オフクロはおばさんに声をかけていた。

兄貴が言うには、オフクロは僕ら子供たちを育てるのが命がけで、父親に関しては、もうそっちでお好きなようにと言う心境だったんだろうと。

振り返ると、親父も時にはいいことを言った。高校時代、学校がイヤになった時があった。親父に向かってぽろっとそんな気持ちを言葉にすると、

「学校をやめて何がしたいんだ?」

と、親父に聞かれた。

「俺、好きな映画を観ていたい」

と、答えると、

「なら簡単だ」

親父は1,000円くれて、そのお金で僕は学校を休み、映画を観に行って。

「楽しかったか?」
「すげえ楽しかった」

親父だって金がないのに翌日も1,000円をくれた。さすがにそれが3日も続くと、映画を観るのが苦痛になってきた。

「いやいや欽一、とことんやったほうがいい」

また、1,000円くれようとする親父に僕は、

「もう勘弁してほしい、映画を観るもの辛いんだよ」

と、音をあげた。

「じゃ、どうするんだ?」
「学校に行かせてくれ」

すると親父はニヤッと笑って、

「映画は3日で飽きても、学校は飽きねえんだよ。なぜだか分かるか、学校には友達がいるからだ」

親父にそう教えてもらった。けっこうしゃれたところもある親父だったんだ。

昭和のスター、有名文化人たちが自分の親について語った貴重なエピソードが満載のメルマガ詳細はコチラ

 

print
いま読まれてます

  • 昭和の「視聴率100%男」欽ちゃんこと萩本欽一の不思議な“家族関係”
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け