貧乏な萩本家の“解散“を兄貴がいい出したのは…
貧乏な萩本家の解散を兄貴がいい出したのは、僕が高校を卒業した時だった。弟は高校生だったが、みんな成長した。
「これからはそれぞれで生きていこう」
一家離散といえば悲惨さ以外にないと感じるだろうが、当時の僕の中に暗さは少しもなくて。むしろ、貧乏な家から解き放たれて、家族みんながそれぞれ幸せを捕まえに行くんだと前向きな気持ちで、兄貴の言葉を聞いた覚えがある。
僕は家を出た。僕はそのまま、浅草の劇場に入って以来10年──。
芸人として、僕は二郎さんとのめぐり会いが大きい。二郎さんが運を持ってきてくれたという思いが強いね。
再び家族全員が集まったのは10年後だった。上の兄貴は親父の借金を返して店を持ち、下の兄貴は商社マン、姉さんも結婚をして、弟は学校の先生になっていて。
不思議とみんなそれなりの幸せを手にしていた。
「親父、何をしているときが一番幸せなの?」
「そうだね、競馬をやっているときか」
親父がそう言うから毎週土曜日、僕は5万円の小遣いをあげたの。
晩年の親父は、夫婦で一緒に暮らしていたが、
「なんだか新婚のときみたいで、すごく幸せ」
なんて、オフクロはほおを赤らめていた。オフクロのその言葉を聞いて、なんか僕は感激したんだよねぇ。
誰にも恨みを持たない。98歳になった母ちゃんの生き方──。
芸人としての僕の資質は100%、オフクロ譲りですよ。
(ビッグコミックオリジナル2006年8月20日号掲載)
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