学生時代にコミュ力の高かった人が社会に出てしくじりがちなワケ

 

マスコミに振り回されないための話

もう一度話を戻すと、だれか1人に何かがあった時に、同質性の議論をして幅を広げていくことがメディアとしておいしいのはわかります。ですが個人的には嫌だなと思います。なので、こういったニュースを見るたびに「そもそもこういうニュースが起きてしまう構造って何なんだろう?」「その構造のずれって何なんだろう?」「構造のずれって、もしかしたら同質性のコミュニケーションと異質性のコミュニケーションをわけて考えないことから起こってしまうのではないかな?」と考える。

最近よくあるのは、事件が起こったあとに起きてしまう風評被害ですよね。人の中のいろんな思い込みやバイアスを利用すると、メディアとしてはページビューが稼げるから、それを助長することが増えてきちゃっています。事件そのものを反省しつつ、事件が終わったあとの風評の広がりを冷静に受け止める。それをどう自分へのプラスに変えてまわりにやさしくするかを考えていく上で、コミュ力が2つある話はすごく大事だと思います。

クオラがすばらしいのが、(僕がめちゃくちゃ好きなマンガ)『ザ・ファブル』で主人公が言った「山で経験する事は正反対の街でも似たような応用が効くということ」「でもなぜか街での経験は山ではほとんど通用しない事が多い」というコマの引用で、このコマがすごいんですよね

つまり山での経験というのは、多様な生物・植物がいる環境の中で起こる、いろんなトラブルを対処すること。街での経験というのは、同質性の中で同質性の歪みの中で起こっていること。だから街のことは山では適応できないけど、山で経験したことは街で経験できるということです。

さいごに

異質なものとのコミュニケーション能力と言った時に、オンラインサロンは僕の場合「つながる未来を信じたいという同質性」と、「それぞれみなさんが持っているバックグラウンドの多様性」という2種類があるので、ぜひ両方楽しんでいただければと思います。

というわけで、つながる時代の未来を楽しみましょう。じゃあね。

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image by: Shutterstock.com

『尾原のアフターデジタル時代のモチベーション革命』

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