文在寅の牢獄送りは決定か。韓国大統領選、宿敵当選で訪れる絶望

kp20220311
 

3月9日に投開票が行われた韓国大統領選で、大接戦の末に勝利を収めた野党「国民の力」候補の尹錫悦(ユン・ソンヨル)氏。韓国の国民の選択は5年ぶりの政権交代でしたが、当選した尹氏とは一体いかなる人物なのでしょうか。今回の無料メルマガ『キムチパワー』では韓国在住歴30年を超える日本人著者が、尹氏の当選までの軌跡と、彼の人となりを詳細に伝えています。

尹錫悦当選者の歩み

3.9大統領選挙の開票状況を見守る「民主党」と「国民の力」の表情は刻々と変わっていった。当初、9日午後7時30分の地上波放送3社の出口調査と事前世論調査の結果、民主党の李在明(イ・ジェミョン)大統領選候補と「国民の力」の尹錫悦(ユン・ソンヨル)候補が超接戦を繰り広げていることが分かり、両党の開票状況室では終始張り詰めた緊張感が漂った。事前の世論調査で遅れを取っていた民主党は、出口調査に安堵感を示したものの、内心大きな格差を期待した国民の力は慎重な態度を示していた。

しかし開票が進むにつれ両党の表情は変わっていった。開票序盤、李候補がリードしていたため浮き立っていた民主党は、10日の午前零時32分ごろ尹候補が逆転するゴールデンクロスの瞬間が訪れると、当然ながら落ち込んでいく。ずっと1位で走っていた李候補が2位に落ちると民主党の状況室は暗く沈んだ。議員らも固い表情で状況室を後にした。京畿道城南市(キョンギド・ソンナムシ)の自宅で開票状況を見守っていた李候補は、午前2時36分頃、自宅を出てソウル汝矣島(ヨイド)の党本部に向かった。一方、出口調査結果に戸惑いを隠せなかった国民の力は、尹候補が1位になると一斉に歓呼を発した。午前2時15分頃、尹候補の当選有力が報道されると、歓呼はさらに大きくなった。

尹錫悦当選者は1,639万4,815票を得、48.56%の得票率を記録した。民主党の李候補は1,614万7,738票で率は47.83%となった。差はわずか0.73%、票数では24万7,077票の差だった。無効票が30万票を越えているから、二人の票差は無効票より小さかったことになる。

尹錫悦当選者については、これまでこのメルマガでも何度も伝えている。ここであらためて尹錫悦のこれまでの歩みをざっと俯瞰してみたい。

検察総長として現政権と対峙した尹錫悦次期大統領は不正腐敗と立ち向かって戦ってきた自分の人生軌跡を踏み台にして「星の瞬間(大統領になる瞬間)」を逃さなかった。10年前までは平凡なエリート検事だった尹氏は、朴槿恵政府で国家情報院コメント工作事件を法と常識に基づいた原則どおりの捜査をして、結局左遷された。これを見た文在寅は尹錫悦のことを「オレの側の人間」と考えた。文在寅政府で破格的に抜擢された尹錫悦は、前政権に対する「積弊捜査」を越え、「生きた権力(現文在寅政府)」にまで刃を向けた挙句、憎まれ、自分を起用した政権と不和の末に決別した。その後、検察総長を途中辞退し、大統領選に直行し、本人のコンセプトを「公正と常識」の時代精神に置き換え、政権交代の旗を掲げた。

1960年、ソウル城北区普門洞(ソンブクグ・ポムンドン)でユン・ギジュン延世(ヨンセ)大学名誉教授とチェ・ソンジャ氏夫婦の1男1女のうち、一番上に生まれた。豊かで学究的な家庭環境は、ゆとりあるながらも好奇心旺盛な性格の肥やしになった。ソウルのテグァン小学校、チュンアム中学校、チュンアム高校を卒業した。高校時代は放課後、東大門(トンデムン)運動場に立ち寄り野球試合を観戦するのを楽しんだという。野球名門のチュンアム高出身という自負心が今も強い。所得不平等研究で有名な父親の影響で、一時、経済学者を夢見たこともある。もう少し肌で感じられる勉強をしたいと思い、ソウル大学法学部に79学番(1979年)に入学した。大学を卒業し、なんと「9度目の受験」で司法試験に合格した。本人が「近所の冠婚葬祭には全部行った」と回顧するほど、周囲の人のために時間を使い(結果)落選を繰り返したためだ。1991年の9回目の試験直前にも、万事を後回しにして結婚する友達の結婚式に参加するために大邱(テグ)まで駆けつけたが、その時、高速バスで偶然読んだ「非常上告の申請」に関する内容が3日後の司法試験に異例的に出題されたおかげで合格することができたという。非常上告の申請は、検察総長だけが持っている固有権限だ。尹次期大統領はこれについて「運命」と語ったことがある。

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