文在寅の牢獄送りは決定か。韓国大統領選、宿敵当選で訪れる絶望

 

1994年、司法研修院を23期修了した尹次期大統領は、弁護士として開業しようとしたが、「3年間経験しよう」として飛び込んだ検察に26年間も勤めることになる。「スター検事」ユン・ソンヨルの成長期は反転ドラマの連続だった。大邱地検で初任検事としてスタートし、序盤は晩学で平凡な経歴を積んだ。盧武鉉政府発足後、大型特殊事件に投入され、「刀鍛冶」として名声を築いた。

02年、一時検事の服を脱いで法律事務所大手の太平洋(テピョンヤン)で働き、1年後に「検察庁の廊下で作るジャジャンミョン(ジャージャー麺)のにおいが懐かしい」と言って実家に帰ってから出世階段を上り始める。

線の太い捜査スタイルで李明載(イ・ミョンジェ)、鄭相明(チョン・サンミョン)元検察総長ら先輩の寵愛を受け、大型事件の捜査の度に選出された。そのおかげで、最高検察庁中央捜査部とソウル中央地検特捜部の要職をあまねく経験した。この過程で特別なボス気質で「ユン・ソンヨル軍団」を構築したという批判を受けたりもした。

尹次期大統領が一躍スターになったのは、2013年朴槿恵政府当時、国情院コメント事件と関連し国会国政監査で上部の捜査外圧を暴露してからだ。「人に忠誠をせず、法と常識に忠誠をつくす」と突き放した国政監査長の本音発言は歴史の一場面として残っている。政権に憎まれ、地方高等検察庁検事に左遷され、約4年間、流刑地を転々としながら忍苦の歳月を送った。不当な圧力に屈しない「硬骨検査」のイメージを大衆に印象づけた。この頃、民主党の中心人物から総選挙出馬を勧められた時は「検察に残って後輩の面倒を見るべきだ」「後輩たちがわたしを政治検事と見るのではないか」と婉曲に断ったという。

特捜部検事としては息の根が切れた(左遷されまくり)かに見えた尹次期大統領は、2016年の弾劾政局を迎え、チェ・スンシルゲート特検捜査チーム長として華やかに復活した。文在寅政府に入って、いわゆる「ろうそく革命」の功臣として、先輩を押しのけてソウル中央地検長に抜擢された。「積弊清算」捜査と公訴維持を陣頭指揮し、李明博・朴槿恵元大統領に対する重刑を引き出した。朴元大統領に賄賂を渡した容疑で李在鎔(イ・ジェヨン)元三星電子副会長を拘束起訴した。司法行政権乱用疑惑に巻き込まれた梁承泰(ヤン・スンテ)元最高裁長官も収監させた。当時、保守陣営は厳しい捜査に強く反発したが、尹次期大統領は特検内部で、朴元大統領に対する非拘束捜査を主張したと、後日周囲に話していたという。

チョ・グク事態が、今日の「政治家ユン・ソンヨル」を作った変曲点だった。検察の首長として「生きた権力にも厳正でなければならない」という文大統領の願いを文字通り行動に移し、チョ・グク元法務部長官一家に対する強力な捜査を推し進める。現政権にとっては目の上のたんこぶのような存在になった瞬間でもある。チョ・グク元長官の娘の入試不正疑惑や夫人のチョン・ギョンシム教授の私設ファンド疑惑だけでなく、大統領府の蔚山(ウルサン)市長選挙介入疑惑、月城(ウォルソン)原発の経済性操作疑惑まで追及した。結局、政権と全面戦を宣布した格好となった。与党議員は一斉に彼に背を向けた。チョ・グク元長官の後任である秋美愛(チュ・ミエ)元法務部長官との葛藤に、「検収完縛」(検察捜査権の完全剥奪)を試みる民主党との正面衝突が重なり、現政権との確執は取り返しのつかない状況に陥った。尹次期大統領は結局昨年3月、「正義と常識が崩れるのをこれ以上見過ごすことはできない。検察でのわたしの仕事はもはやこれまで」と辞任の弁を残し、任期を4か月余り残して検察総長の職を退いた。

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