「この人は半端じゃない」日本電産・永守重信が語った“稲盛和夫”とは

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日本の長者番付の上位に座し、一代で日本電産を1兆円企業へと育て上げた永守重信氏にとって、創業したのが同じ京都でもある京セラの稲盛和夫氏には深い思い入れがあるようです。今回の無料メルマガ『致知出版社の「人間力メルマガ」』では、 その思いを熱く語っています。

永守重信氏が語る稲盛和夫

──永守さんは稲盛和夫さんと同じ京都で創業し、精密小型モーターのメーカーだった日本電産を一代で1兆円企業に育て上げられました。今年で76歳(当時)になられるそうですが、いまなおバイタリティーに溢れていますね。

永守 「まだ現役バリバリですから(笑)。きょうは稲盛さんについてお話ができるというので、非常に光栄に思っています。

──そもそもの出会いはどういうものでしたか

永守 1973年の日本電産の創業から10年くらい経った頃だったと思います。もう亡くなられましたけれど牧さんとおっしゃる京都銀行の常務さんが『永守さん、これから会社を大きくしたいと思うなら、京都セラミック(当時)の稲盛さんと一度、会っておいたほうがいいですよ』と一席設けてくださいましてね。稲盛さんとは同じ申年で、年齢は稲盛さんが一回り上なんです」

──すると、永守さんが39歳前後、稲盛さんは51歳前後の頃ですね

永守 「ええ。当時、京セラは創業20年を越えて大いに驀進していた時で、まさに『京セラ、ここにあり』という感じでした。稲盛さんも経営者として脂が乗り切っていて、話に非常に勢いがありましたね。

実際、稲盛さんは猛烈に働いておられ、これが成長する企業のトップのあり方だということを身を以て教えられたんです。

会食が終わったのが夜の10時くらいだったでしょうか。私は当然、それから家に戻らずに会社に帰るわけですけれど、稲盛さんも会社に帰られると聞いて、『やはり、この人は半端ではないな』と思いました。そんな経営者にそれまであまり会ったことはなかったし、印象は大変強烈でした。その時の勢いのある姿はいまでも目に焼きついています」

──同じ経営者として強く意識するようになったのですね。

永守 「その日から目標が一段も二段も上がりました。京セラという会社と稲盛さんという人物を追い求めるのが私の目標になりました。もちろん、最初から同じことはできませんから、まずは真似るところから始めたんです」

(※ キャンペーン特典 『致知』2021年4月号特集「稲盛和夫に学ぶ人間学」より)

image by: Mizantroop / Shutterstock.com

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【著者】 致知出版社 【発行周期】 日刊

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