「ハートカクテル」に酔いしれて。漫画家・わたせせいぞうが今も“手描き”にこだわるワケ

2022.06.16
by gyouza(まぐまぐ編集部)
 

サラリーマンから漫画家一本に。背中を押した「ハートカクテル」への思い

──そろそろ「二足の草鞋」生活から、漫画一本に専念しようと思い始めたわけですね。

わたせ:僕が勤務していた支社の中では、「営業支社長」として漫画の話は一切しないようにバリアを張っていたんです。それに対しては部下たちも気を使ってくれていました。あるとき、若い部下とふたりでお得意先へ行く車の中で、その部下が「支社長、先週のハートカクテル良かったです」と小声で言うんですよ(笑)。若い部下が僕の漫画を応援してくれているということがわかって、内心とても有り難かったですね。

──普段は気を使って社内では何も言わなかった部下が、実は先生の連載を読んでいて、その作品を応援してくれているというのは、何ものにも変え難い嬉しさがありますよね。そして「ハートカクテル」連載中の1985年に会社をお辞めになるわけですが、これはどのようなきっかけがあったのでしょうか?

わたせ:2月15日の40歳の誕生日に「企画課長」の辞令をもらいました。そうなってくると、会社的にも「そろそろ、どちらか一本にしろよ」という声が聞こえてきそうで、一本に絞ることにしたんです。大きな会社だったので、辞令をもらって一週間以内には結論を出さないと迷惑がかかりますから、答えを出すまでの一週間だけ悩みました。僕と奥さん両方の両親に相談しましたが、みんな「お前の行きたい道に行け」としか言わないんですよ。「訳のわからない絵の方に行っても応援はするよ」とは言っていましたけどね(笑)。でも、会社からは「そんなバカなことはよせ」と、たくさんの人から引き留められました。ある代理店では「ロマンの世界に行ったらどうだ!」なんて無責任なことを言う人もいたんです。そこで40歳の自分として、45歳になった自分と50歳になった自分というものを頭の中で想像してみたんですよ。そうすると、45歳と50歳のふたりが「あのとき絵の道に行った方が良かったんじゃないか?」という顔をするという、何とも不思議な体験をしました。それに、当時の僕は「ハートカクテル」を描きたくて描きたくてしょうがなかったんです。平日の月〜金は何もできず、漫画は土日にしか描けない生活でしたから、もし月〜金も描けたらどんなにか幸せだろうと思ったんですね。

──どうしても平日に「ハートカクテル」を描きたい!という強い気持ちに突き動かされるように、漫画家の道を選ばれたんですね。独立された直後に不安はありましたでしょうか? それとも急にお仕事が忙しくなった感じなのでしょうか?

わたせ:3月31日に仕事を辞めて4月1日になったとき、初めて「ああ、今まで自分は会社という大きな傘(組織)に守られてきたんだな」と、その「傘」が無くなったという実感はありましたね。たとえば病気をして休んでも会社は給料をくれますが、フリーになって病気を理由に漫画を描けなくなればお金は貰えないわけです。そういう現実について考えることはありましたね。でも、先ほどお話ししましたが「ハートカクテル」を描きたくてしょうがなかったし、「ハートカクテル」の登場人物を題材にしたCM制作の仕事も始まったんです。そして、それまでは『モーニング』編集部が「わたせせいぞう」という漫画家を他の媒体では描かせないように「カゴの鳥」みたく囲い込んでいたんですが、そのカゴをバッと開けてくれました。そうしたら、他社からの仕事が一気にドッと押し寄せてきたんですね。だから、不安というよりは忙しくなってしまったことの方が大変でした。

──代表作である「ハートカクテル」は、毎号カラー4ページという、80年代当時の漫画雑誌としては豪華な連載でしたよね。その「ハートカクテル」に出てくる外車、洋酒、ジュークボックス、ラジオ、西海岸風の風景や看板、音楽などの世界観は、どのような作品や場所から影響を受けたのでしょうか?

HCMC_Sunrise_067

わたせせいぞう自選集 ハートカクテル』ミュージック&クルーズ「サンライズ」編(小学館クリエイティブ)より

わたせ:やっぱり、イラストレーターの永井博さんや鈴木英人さんですね。それに、当時の日本のミュージシャンの多くはアメリカのウエスト・コースト(西海岸)の音楽を目指していたということもあって、クリエイターと呼ばれる人たちにはアメリカ西海岸の風が吹いていた時代でした。だから僕も西海岸好きになったんです。実は会社務めをしていた時に営業成績で表彰されて、ロサンゼルスへ研修旅行に行かせてもらう機会がありまして、そのことでより西海岸が身近な存在になったんですね。その当時は西海岸の文化が日本で流行り始めてきた頃で、ロスの街中にあるビルボード(看板)が本当にカッコ良くて、こういうものをバックにした主人公の絵を描きたいなと思ったんです。ホテルのプールとかね。

──先生が「ハートカクテル」の中で使用する色やモチーフも、日本には無い欧米ならではの色彩感覚で作られたモノを多く登場させていましたよね。このロス行きが後の作品に大きく影響したわけですね。

わたせ:自分が憧れていた土地に、しかも会社のご褒美で行くことが出来たのは本当に嬉しかったですよ。ロス旅行は「ハートカクテル」を描く数年前でしたが、その頃から、こんな風景をいつか作品に描けたらなぁと思ったんですね。

──初期の「ハートカクテル」は、当時のグラフィック・デザイナーが印刷物の製作でしていたような細かい色指定や、間を大事にした大胆でグラフィカルな構図など、どのコマを切り取っても「レコードジャケット」になるような作風が印象的でした。このような作風は、どのように確立されたのでしょうか?

HCMC_Sunrise_051

わたせせいぞう自選集 ハートカクテル』ミュージック&クルーズ「サンライズ」編(小学館クリエイティブ)より

わたせ:まだサラリーマンをしながら「ハートカクテル」を描き始めた頃の2年間(1983〜1985)は、とにかく楽しくてしょうがなかったわけです。今度はアレを描こう、次はこういうアングルがいいだろうと毎週のように楽しみながら考えていました。もし当時、他の仕事をたくさん同時に抱えていたらダメだったと思うんです。「ハートカクテル」一本だったから楽しく出来た、その結果だと思うんですね。

──そんな「ハートカクテル」の特徴の一つに、ト書きやセリフなどの文字が、写植ではなく、すべて先生の描き文字という点があります。これは意図的だったのでしょうか?

わたせ:いや、意図的ではなく、「ハートカクテル」の原型になった「おとこの詩」(角川書店)という漫画が、同じように手描き文字だったんですね。その後に「ハートカクテル」を連載するにあたって『モーニング』の編集長がセリフやト書きについて、やはり写植とも何とも言わなかったので、そのまま描いて、そのまま掲載されていただけなんです。

──個人的には、わたせ先生の描き文字は外国映画に入る「字幕」の文字のように見えていました。先生の漫画が、どこか外国の映画を思わせる作風だったことに関係しているのかもしれません。

わたせ:なるほど、そうですか! その感想は嬉しいですね、ありがとうございます。

print
いま読まれてます

  • 「ハートカクテル」に酔いしれて。漫画家・わたせせいぞうが今も“手描き”にこだわるワケ
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け