また、2005年~15年までの10年間で、日本からの論文がほぼすべての分野において減少。日本の世界における科学分野の相対的な地位が年々低下し、ネイチャー・インデックスという高品質の自然科学系学術ジャーナルのデータベースに含まれている日本人の論文数は5年間で8.3%も減っているのです。世界全体では論文数が80%増加したのに対して、日本からの論文はたったの14%しか増えていません。
こういった状況を鑑みれば、日本の研究力を高める支援を国が進めることは必要であり、大規模投資にも大賛成です。
ただ、研究に大規模な税金を投入することと、稼げる大学を支援することは同義ではない。しかも、今回にようにごく一部の大学だけを支援することが、日本の大学の研究力向上につながるとは、到底思えません。
これまで政府は、「ニーズ至上主義」を学問の場に取り入れてきました。学問とお金は本来「水と油」なのに、カネ、カネ、カネ、を優先させたのです。
2015年には、既存の文学部や社会学部など人文社会系の学部と大学院の廃止や分野の転換の検討を求めました。L型だのG型だのに大学を分類し、「ニーズに合った知識」「ニーズに合った技術」「L型では学術研究を深めるのではなく、社会のニーズを見据えた職業教育を行う」と、ニーズ、ニーズ、ニーズと言い続けてきました。
一方で、グローバルで通用する高度なプロフェッショナル人材を養成する「G型大学」はごくごく少数の大学だけでいい、と。一部の出来るヤツさえいればいいとばかりに、学問の場にトリクルダウン理論を適用したのです。
が、経済でトリクルダウンは起こらなかった。全く起こりませんでした。
富裕者がさらに富裕になると、経済活動が活発化することで低所得の貧困者にも富が浸透し、利益が再分配される…としていたのに、富裕層だけが潤い、中間層が没落。低所得者が増えていきました。
なのに、いまだにトリクルダウンを妄信してる人たちがいる。
日本の大学は東大でさえ世界35位、京都大学は61位です。世界トップ100にたったの2校しか入っていません。
政府としては東大と京大に稼ぐ大学になってもらうことを期待しているのでしょうが、そんなに簡単に世界トップに躍り出るほど学問の世界は甘くない。「学問に王道なし」という言葉があるように、長い月日をかけ、一つひとつ積み上げることでしか、世界で戦う力が大学に育まれることはないのです。
選択と集中を学問の世界に持ち込むことは、地盤沈下に拍車をかけることになる。多くの大学の研究力が低下するリスクの方がむしろ高いと、個人的には考えています。
そもそも日本が世界的な経済国になったのは、100年以上前の“未来に向けた”投資があったからです。1906~1911年、日本全国の市町村予算の5割近く(43%)が、教育費に充てられていました。当時、日本人の識字率の高さに、欧州の人たちが驚いたという話は、誰もが一度は聞いたことがあるはずです。
強固な土台なくして、研究力の向上も、経済拡大も国の発展もあり得ない…。極論をいえば、日本は「チーム力」を高めることでしか、世界と戦えないのです。果たして、大学ファンドに「チーム力」という発想はあるのでしょうか。
みなさまのご意見も、ぜひお聞かせください。
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