韓国初のフィールズ賞受賞者が日本の数学者から受けた大きな影響

 

―「とても」という副詞を習慣的にたくさん使いますね

「あっ!それがとても残念な点です。語彙が波のように押し寄せてこそ維持されるのに、体からしきりに韓国語が抜けていきます。精巧な語彙を選択できないのです。言語を冷凍状態で保存することもできない」。数学者ではなく、言語学者と会話しているような錯覚を覚えた。

―幼い頃詩人を夢見たそうですが

「中高校の時、詩にハマりました。特にキ・ヒョンド詩人の作品が好きでした。詩を読むと、日常会話では感じられない他の種類のコミュニケーションを感じることができました。詩的表現が曖昧で著者が意図したことを明確に知ることは難しかったけれど、そのためにむしろ深い絆と共感を持つようになる特別な経験を何度もしたんですよ」

―詩人を夢見た数学者、、一見すると繋がりません

「実は共通点が多いんです。詩はある意味矛盾した表現様式です。表現しにくいことを言語で疎通しようとする試みですから。それで詩的曖昧さが生じます。数学は、地面に引きずり下ろしにくい抽象的概念を数と論理で表現して共有するものです。どちらも対象を高度に含み、強力な象徴を作ります。」

―幼い頃から天才の声を聞きましたか

「いえいえ全くです。私立小学校に入ったのに適応できず、町内の小学校に転校しました。高校の時は詩を書くといって学校をやめました。学校に通う時間に詩を書いたらすぐ登壇すると思いました。中2病でもなく高1病をひどく患いました。結論は虚しい歳月。学校に行かないで毎日校門の前で下校する友達を待ってネットカフェに行きました」

父親は高麗大学統計学科の許明会(ホ・ミョンフェ)名誉教授、母親は李仁永(イ・インヨン)ソウル大学ロシア語ロシア文学科名誉教授だ。彼は両親が留学時代に米国で生まれ2歳の時に韓国に来た。小学校から修士課程まで韓国で過ごし、博士時代に米国に渡った。

―学校を辞めると言った時、両親の反対はありませんでしたか

「私の意思を尊重してくれました。特に母親が健康にとても気を遣うスタイルなんですが、夜間の自律学習が多くて健康に良くないようだと言ったら、納得してくれました」

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