韓国初のフィールズ賞受賞者が日本の数学者から受けた大きな影響

 

―学部最後の学期の時、日本の世界的数学者である広中平祐(91)ハーバード大学名誉教授の授業が人生を変えたと聞いています

「教授が書いた『学問の楽しみ』があまりにもベストセラーでした。有名数学者が講義すると聞いて好奇心で受講登録をしました。科学記者もしばらく夢を見ていた時なので、もしかしたら後でインタビュー対象になるかも知れないという考えもしました。

広中教授専攻の『代数幾何学』の中で『特異点理論』を集中的に教えられましたが、とても難しかったです。専攻学生のほとんどが受講撤回をしましたが、私は最後まで聞きました。ある日、一人でご飯を食べている広中教授に先に近づいてゆき、学生会館でご飯を一緒に食べませんかと言った。その後、ほぼ毎日昼食を一緒に食べる『ご飯の友達』になった」

―特異点理論が以後の業績に影響を及ぼしたと知っています。どんな理論ですか

「『空間を理解する試み』である幾何学の一部です。私たちがよく想像する空間の共通点は表面が滑らかです。ところが数十年前、広中教授が『特異点』という滑らかでない空間研究に重要な寄与をしました。

それを応用して、私が大学院に行った時リード予想を解きました。リード予想はもともと離散数学領域だと思っていましたが、私は広中教授に聞いて慣れていた特異点理論を組み合わせて幾何学的方法論として解いてみました。後続研究として同僚と一緒に『ロタ予想』も証明しました」

―広中教授もピアニストを夢見ていたが、一歩遅れて数学に入った「遅れて来た数学者」として有名です。人生の話もたくさん交わしましたか

「数学の話ばかりしました。囲碁の達人が下手の目線に合わせて説明するように簡単に。教授はさまよっていた私に生きながら追求する価値があることを見せてくれた恩人です」

広中教授の勧めで学部を終え、ソウル大学数学科修士課程に入った。

―09年、海外大学の博士課程に進学するために12校に志願書を提出したが、米国イリノイ大学1校だけだったんですか

「当然の結果でした。学部を6年も通ったし、成績も良くなかったから。それでも広中教授の推薦書のおかげでイリノイ大学で賭博をする気持ちで選んでくれたようです(笑)」

賭博の結果はジャックポットだった。博士課程初年度でリード予想を解決した。1年前、彼を落としたが、再びラブコールを送ったミシガン大学に移って博士号を終えた。

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