4.全てが崩壊した時、どう生きるか?
社会は個人で構成されている。社会が安定していれば、社会の中の個人として生きていけばいい。しかし、社会そのものが不安定になり、組織が次々と解体されると、社会優先、組織優先の価値観も崩壊してしまう。
その場合は、個人をベースにして身近な関係の中から新たな組織を構築し、その組織を基本にした社会を構想していくしかない。
例えば、戦争や自然災害で町が破壊され、勤めていた会社が倒産し、職を失った場合、生活の拠点をどうするか、食料をどのように確保するかという、サバイバル的発想が求められる。
最も頼りになるのは家族であり、次には友人知人とどのような関係を構築するかが問われる。また、治安が乱れれば力こそ正義という弱肉強食の思想も出てくるかもしれない。
ビジネスの世界でも、将来が予測できない時代には最悪の状況を予想しておくべき、と言われている。これは個人の生活でも同じことだ。
最悪の最後は全てを失い一人だけになること。その時に、心の平安を保ち、静かに内面と向き合えるように覚悟しておきたい。もし、その気持ちが広がり、共感を得ることができれば、個人は無力ではないといえるのだろう。
■編集後記「締めの都々逸」
「何もできぬと あきらめるより 生きてりゃ何か 始まるさ」
世界の状況が刻々と変わる中で、自分はどのように生きていけばいいのか。想定の範囲内なら問題ありませんが、想定外のことが起きるとパニックになります。ですから、想定外を想定した方がいい。もう、これは宗教の範疇ですね。
考えてみれば、我々は常にお金のことを考えています。しかし、お金が使えない事態になることもあり得るわけですね。
中国なんて、自分の銀行口座にあるお金が下ろせなくなっている。この段階で国の体制が崩壊していると思うのですが。
お金が使えなくなった時、お金に関係のない人生の目的を設定する必要が出てきます。そんな時に何をするのか。好きなことをすると言っても、「好きなことって何だ」と悩むかもしれません。(坂口昌章)
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