米海兵隊員と大立ち回りも。安倍晋三氏「若き日」の知られざる逸話

ud20220908
 

7月8日、奈良県での遊説中に銃撃を受け、帰らぬ人となった安倍晋三元首相。政治家としての評価は分かれるところですが、では「人間」としての安倍氏はどのような素顔を持っていたのでしょうか。今回のメルマガ『宇田川敬介の日本の裏側の見えない世界の話』ではジャーナリスト・作家として活躍中の宇田川敬介さんが、安倍氏の威勢の良さを表す学生時代の知られざるエピソードを紹介。さらに安倍氏と初めて顔を合わせた当時の世界情勢等を綴っています。

この記事の著者・宇田川敬介さんのメルマガ

初月無料で読む

 

元首相安倍晋三氏との思い出 1 安倍氏と私の出会い

安倍晋三氏と私があったのは、当然安倍氏が政治家になってからの事です。

私がお付き合いのある老練なジャーナリストは、安倍晋三氏がまだ父安倍晋太郎が外務大臣であった時の秘書官としての姿や、その前の成蹊大学の大学生であったことを知っています。

その話を聞けば、安倍晋三氏というのは、かなり「なまいき」で「威勢がいい」若者であるということでした。

六本木のディスコ(当時ですから)で、その出入り口でアメリカ軍と思われる黒人と肩がぶつかったということです。

まだ若き学生時代の安倍晋三氏は、その黒人に喧嘩を仕掛けたというのです。

安倍晋三氏も、体格は立派な方ではあると思いますが、現役の黒人の海兵隊員(後にわかったことのようです)との対格差は歴然としていたといいます。

安倍晋三氏と一緒に来た大学生(ジャーナリストによると3人いたとメモにあるとのこと)は、皆逃げてしまったが安倍晋三氏は、たった一人でもそのまま立ち向かっていったというのです。

アメリカ人は、黒人と一緒に来た数名の外国人も一緒になって安倍晋三氏とけんかになり、安倍晋三一人対数名のアメリカ軍人という喧嘩が始まったといいます。

まあ、さすがに威勢のいい安倍晋三氏と言えども、その結果は火を見るよりも明らかとのことです。

一度逃げた数名が、ディスコの店の人などを連れてきて、やっと喧嘩が収まった時、安倍晋三は「もう少しでこの外国人を倒せるはずだったのに」と、喧嘩を止めた安倍氏の友人たちを怒ったと言います。

そのうえで「覚えてろ、次はお前らを倒してやる」と言い放ったといいます。

かなりけんかっ早く、ついでに、意外と強気であったというのが安倍晋三氏の若いころの性格であるといいます。

父、安倍晋太郎氏はそのような安倍晋三氏に「他の企業で就職をしても、あまり長続きはしない」ということから、自分の近くに置き、そんなに喧嘩をすべきではないというようなことを説いたといいます。

その後、いくつかの就職活動をしますが、安倍晋太郎氏が外務大臣になるにあたり、その秘書官として勤務するようになり、外交を学ぶことになったということです。

なお、件の老練なジャーナリストは、この時に外務大臣安倍晋太郎氏の件で外務省の職員(官僚)の所に取材に行って、その官僚の家で、まだ学生であった官僚の娘にお茶を出してもらったといいます。

安倍晋三氏とは全く関係がない彼の「自慢の話」ですが、その学生であった官僚の娘こそ、現在の皇后陛下であるということです。

この記事の著者・宇田川敬介さんのメルマガ

初月無料で読む

 

print
いま読まれてます

  • 米海兵隊員と大立ち回りも。安倍晋三氏「若き日」の知られざる逸話
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け