党首討論でもウソ八百。野田元首相「安倍氏追悼演説」で語られなかった“負の側面”

2022.10.31
onk20221028
 

10月25日の参院本会議で行われた、野田佳彦氏による安倍晋三元首相に対する追悼演説。各方面から絶賛の声が上がっていますが、「安倍政治」は美談だけで語られることが許されない負の側面も大きかったようです。今回、毎日新聞で政治部副部長などを務めた経験を持つジャーナリストの尾中 香尚里さんは、野田氏の追悼演説を「名演説」と認めつつ、そこで語られなかった安倍氏の国会における、政府のトップとして恥ずべき振る舞い等を紹介。その上で、安倍政治を検証する作業は国葬や追悼演説で区切りがつくようなものではない、との厳しい見解を記しています。

プロフィール:尾中 香尚里(おなか・かおり)
ジャーナリスト。1965年、福岡県生まれ。1988年毎日新聞に入社し、政治部で主に野党や国会を中心に取材。政治部副部長、川崎支局長、オピニオングループ編集委員などを経て、2019年9月に退社。新著「安倍晋三と菅直人 非常事態のリーダーシップ」(集英社新書)、共著に「枝野幸男の真価」(毎日新聞出版)。

野田元首相による安倍氏「追悼演説」で思い出す、あの2012年の党首討論と「その後」

その政治的所業をおよそ積極的に評価できない政治家を悼む言葉に、これほど心を揺さぶられるとは。25日の衆院本会議。立憲民主党の野田佳彦元首相による、安倍晋三元首相への追悼演説である。

10年前、衆院選で安倍氏率いる自民党に惨敗して政権の座を明け渡した、民主党政権最後の首相。「仇のような政敵」の安倍氏に対し、追悼という目的に沿って故人への敬意とねぎらいの思いを示す一方で、抑制的ながら安倍政治の「負の遺産」についても演説にしっかりと刻み、さらにそれを踏まえて民主主義のあるべき姿をうたい上げる――。

名演説だった。政治的立場の違いを超え、多くの国民の心を打ったことも頷ける。

しかし、だからこそ「その上で、申し上げたい」ことがある。野田氏が追悼演説に立つ最大の理由となった、10年前の党首討論と「その後」についてだ。もちろん、野田氏は演説でこの党首討論に触れた。しかし「その後」については語っていない。

「追悼」の場だからこそ、語られなかったこと。忘れるわけにはいかない、安倍政治の負の側面だ。

あの党首討論は2012年11月14日に行われた。野党・自民党の総裁として野田氏に衆院解散を迫る安倍氏に対し、野田氏は、この日衆院に提案した、衆院議員の比例定数を削減する法案などについて、今国会での成立に向けた自民党の協力を求めた。

民主、自民、公明の3党は、野田政権最大の政治課題だった「社会保障と税の一体改革」をめぐり、2014年4月に消費税率を8%、15年10月に10%に引き上げることで合意していた(いわゆる「3党合意」)。野田氏には「国民に痛みを強いる以上、政治家も身を切る覚悟を示さなければいけない」との思いがあった。

比例定数の削減に難色を示す安倍氏に、野田氏は畳み掛けた。

「(定数削減への協力に)ご決断をいただくならば、私は今週末の(11月)16日に解散をしてもいい。ぜひ国民の前で約束してください」

解散期日を国会の場で明示して野党に協力を求めるという、異例の行動に出た野田氏。虚をつかれた安倍氏は「今、私と野田さんだけで決めていいんですか。そんなはずないんですよ」と逃げを打とうとしたが、野田氏はさらに「明快なお答えをいただいておりません」と追い討ちをかけた。

「16日に解散をします。(定数削減を)やりましょう」

「それは約束ですね。約束ですね。よろしいんですね。よろしいんですね」

この2日後の16日、民主、自民、公明の3党は定数削減について「(2013年の)次期通常国会終了までに結論を得た上で、必要な法改正を行うものとする」という合意文書をまとめた。野田氏はこの日、言葉通りに衆院を解散した。民主党は選挙で大敗して野党に転じ、自民党は政権を奪還。安倍氏は野田氏の後任の首相に就任した。

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