義勇兵としてウクライナで戦っていたとされる20代の日本人男性が、11月9日に死亡したと政府が明らかにしました。日本人がウクライナ戦争で死亡したのは初めてとみられ、本名は公表されていませんが、「ドブレ」の名でSNSに投稿していた人物のようです。今回のメルマガ『浜田かずゆきの『ぶっちゃけ話はここだけで』』では、著者で国際政治経済学者の浜田和幸さんが、「ドブレ」さんが残した言葉を紹介。世界中からウクライナに渡った義勇兵がいて、ウクライナ側も積極的に受け入れている現状を伝えています。
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ウクライナで戦死した初の日本人
ぶっちゃけ、ウクライナ戦争は終わりが見通せません。ロシア、ウクライナ双方とも犠牲者が増える一方です。そんな中、義勇兵としてウクライナ軍に加わっていた日本人が戦場で亡くなっていたことが判明しました。
実は、ロシアと戦うウクライナ軍には世界各地から義勇兵が合流し、ウクライナの戦場で日夜戦闘に加わっています。アメリカやカナダはもとより、ヨーロッパや南米、そしてアジアからも参戦しているのです。
11月10日、日本人の義勇兵が戦死したことがネット上で話題となり、日本の外務省も確認しました。この日本人は自身のブログを通じて、ウクライナでの戦闘について頻繁に情報を提供していたので、結構、ファンというかフォロワーもいたようです。
本名は明かしていませんが、愛称「ドブレ」で投稿していました。曰く「俺はナチの信奉者だ。それが何か問題かな。俺は戦うのが好きだ。ウクライナに攻めてきたロシア兵を殺すのが仕事さ。もちろん、前線では民家に潜んでいるぜ。NATO軍の正式の軍人じゃないけど、これまで多くのロシア兵を血祭りにあげてきた」。
恐らく、自分の死も予想していたに違いありません。なぜなら、彼の仲間で台湾からやってきていた義勇兵も11月4日には現地で戦死していたからです。彼らは同じ外国からの義勇兵が所属する部隊でロシア軍と戦っていました。
仲間だった台湾人が戦死したことを受け、彼は「俺は戦いを止めない。台湾の戦友の魂と一緒に戦争が終わるまで戦い続ける覚悟さ。この戦争が終わったら、台湾を訪ねて彼の郷里で弔いをさせてもらいたい」とつぶやいていたものです。
「ドブレ」の愛称で現地から生々しい情報を発信していた日本の男性義勇兵。本人の言葉使いからは「旧日本軍人」を彷彿とさせるものが感じられました。
ゼレンスキー大統領は「ウクライナが生存できなければ、世界も終わる」と訴え、世界中から義勇兵を受け入れる方針を打ち出しているわけです。ロシア側の情報によれば、ウクライナに入国している外国の義勇兵は7000人を超えている模様。
各国のウクライナ大使館が窓口となり、義勇兵の勧誘と送り出しを担当しているとのこと。日本政府は日本人のウクライナ渡航を奨励していませんが、実際には、複数の日本人が義勇兵として今でもロシア軍と戦っていると思われます。
ぶっちゃけ、ウクライナの戦場では日本人の血も流されているのです。一日も早い停戦が望まれます。
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