また、魚河岸に常駐した幕府の役人は将軍や大奥に納める鯉を確保する役目を担っていました。その為、魚河岸に入荷した鯉が不足すると武家屋敷、料理屋、民家に立ち入り、池で泳ぐ鯉を無理やり捕っていったそうです。不確かですが、武家屋敷には鳥見役同様、探索目的で立ち入った可能性もあります。
江戸時代ならではの役職ですね。
江戸時代の魚事情について記します。
ご存じの読者も多いでしょうが、江戸時代、鮪、特にトロは捨てられていました。鮪という魚自体が下魚とされていたのです。今日から見ると、トロを捨てるとは勿体ないですね。古典落語の、「三方一両損」では、鰯の塩焼きを肴に酒を飲んでいる男を、あんなぎとぎとした脂っこいもので酒を飲むなんて江戸っ子じゃねえ、と蔑む男が登場します。江戸っ子から見れば鮪のトロなんぞは脂っこくて口にできなかったのでしょう。
同じく古典落語の、「目黒のさんま」では目黒の農家で生まれて初めてさんまの塩焼きを食べた殿さま、その美味さに仰天、藩邸でも食べたいと言いますが、さんまなどという下魚が殿さまの食膳に供されることはありません。それでもたっての願いで、出されたさんまは脂が抜かれたごくあっさりとしたものでした。江戸っ子に限らず、武士の間でも脂っこい食べ物は嫌われていたのかもしれません。
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