障がい者への「強制不妊」報道に違和感。日本には視野の狭い記事が多すぎる

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先日、障がい者に「強制不妊」を行っていた施設についてのニュースが全国紙を飾りました。そのニュースに違和感を覚えたのはメルマガ『ジャーナリスティックなやさしい未来』の著者で、要支援者への学びの場を提供する「みんなの大学校」学長の引地達也さん。今回、引地さんは支援の現場の実態を語りながら、この報道に対する違和感の原因を探っています。

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障がい者の「産む」への批判の前にやるべき調査報道

先週、長野市のとある店で手に取った信濃毎日新聞の1面トップ記事に障がい者に強制不妊を行っていたとの見出しが躍っていた。

このニュースは共同通信の独自記事で、中日新聞はじめ全国各紙を飾った。

この「ニュース」に接し私は違和感を覚えた。

記者であった自分が今、支援の現場にいることから去来するその心地の悪さは、福祉の実態を知らないまま、悪い部分を焦点化してやり玉にあげる魔女裁判のようなパターンへの不快感である。

報道の概要は、北海道江差町の障がい者向けグループホームが知的障がいの利用者が同居や結婚を望んだ際に不妊処置を提案し、これまで8組16人が応じていたというもの。

就労支援の打ち切りなどを示唆して不妊を勧めていたとされ、「産む権利」の侵害に当たる可能性もにおわせた内容だった。

当日のNHKニュース等のテレビニュース、他紙も追随し、松野博一官房長官も「仮に本人の意に反して」であれば不適切、と記者会見で言明するなど、社会を動かす見事な「スクープ」だった。
しかし、である。

私が支援の現場を知らない記者であれば、おそらく同じような記事を書いていたかもしれない。

権利侵害への違和感を取材し、それを正義だと信じ世に発信するのは、記者の優先するべき仕事だと疑わなかっただろう。

しかし、支援の現場や仕組み、雰囲気、実態を知る今は違和感しかない。

支援者の視点からすれば、知的障がい者が男女関係を結び、お互いを大切に思い、生きていくことほどうれしいことはない。

その結果として子供を産む、という選択もあるのも分かっている。

しかしながら、生活全般に支援が必要な場合には予見可能な対応を考えるのも支援者の責任である。

この法人では「子育てについては障害者に選択してもらう。子どもがほしいなら協力はするが、うちの法人では経験値がないので子育てのサービスは提供できないと伝えている」と記者会見で説明したという。

法人の支援は公的サービスの範囲で行われているものであり、そのサービスとは個別支援計画に明記された内容を基本に行われるから、法人の対応としてこの説明は現行の制度の中では成り立っている。

そうはいっても、この法人が権利侵害や利用者の可能性を最大限に尊重しようとする思いでコミュニケーションを尽くしていたら、このように「やり玉」にあげられることなく、この問題は違う方向に行ったであろう。

この法人が利用者の自己実現に寄り添い、地域での支援を考えていたら、との思いはあるものの、今回はこの「隙間」に報道が入り込み、焦点化され、それが社会福祉法人の「瑕疵」として強調される格好になった。

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