じゃ、そこでムダなく全てを効率的に生きたら、今よりももっと幸福度が高まったのか?と考えたら、それは違うんじゃないかと思うんですよ。
学生の本分は勉強だ!といって大学受験のためだけに時間を使って、部活動も恋愛も趣味も映画も音楽もひとつも体験しないで、東大に合格したらそれは良い人生なんですかね。
人間には愚行権というのがあって、バカなことだと分かっていて、あえてそれをやる権利ってのがあるんですよ。そんなバカなことがゼロな人生って、効率と利益だけを追い求めるギスギスした人生って、マシーンみたいな生き方だと思うんですよ。
一見してムダに見えるモノにも、違う角度から覗いて見たらちゃんと意味があるってこともあるんじゃないですかね。
人生の味わいって最後は、
● どんな思い出を作れるか?
なんだと思いますよ。偏差値の高い学校に行って、所得の高い職業に就いても、若い頃の思い出が、毎日10時間勉強したことだけで、それ以外に何も思い出せるモノが無かったら、それは寂しいんじゃないかと思いますよ。
そしてそういう思い出って、ムダなこと、後悔したことの方が強烈に覚えていて、それが味わいに変化するのが年を取るということでもあるんじゃないですか。
私は今になって、高校生の頃にバイクを乗り回したり、パチンコ屋に入り浸ったり、徹夜麻雀をやった記憶が愛おしいと思いますもん。あの思い出を全部削除して、その代わりにずっと勉強だけをやった記憶と差し替えて、その結果国立大学に入れたとしても、そっちの方が優れた思い出だとは言えませんもん。
バカなこと、下らないこと、そういう体験を良い思い出に変える力があれば良いわけで、それを身に着けることの方が尊いと思うんですよね。
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